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イスラーム勢力からイベリア半島を取り戻し、アラゴン・カタルーニャで今なお国民的人気を誇るヒーロー、征服王ジャウメ1世(1208〜1276)の年代記。王自身の筆になるこの書物は、カタルーニャ語文学の嚆矢であり、合戦や謀略の生き生きとした描写に思わず手に汗握る軍記物でもある。訳者による解題と資料を付す。
『日本イスパニア学会会報』第16号、15頁 (自著紹介)
『地中海学会月報』330、評者:山辺規子氏
『史學雜誌』第119編 第8号、109-110頁、評者:阿部俊大氏
『地中海学会月報』330、評者:山辺規子氏
『史學雜誌』第119編 第8号、109-110頁、評者:阿部俊大氏
尾崎明夫(おざき あきお)
1955年神戸市生まれ。1985年京都大学文学部博士課程単位取得後退学(西洋史)。スペイン・ナバラ大学で博士号取得。京都大学・立命館大学非常勤講師(スペイン語、スペイン史)をつとめる。現在、長崎精道学園三川台高校指導司祭兼社会科教師。専門は、スペイン中世史。
主要論文:「レコンキスタとイベリア半島」(江川温・服部良久編著『西欧中世史』中、ミネルヴァ書房、1995年、253—281頁)。「マリア・デ・モリナ」(高橋博幸・加藤隆浩編『スペインの女性群像:その生の軌跡』イスパニア叢書10、行路社、2003年、25—39頁)。
ビセント・バイダル(Vicent Baydal)
1979年バレンシア生まれ。バレンシア大学修士課程修了。現在、バルセローナ歴史博物館研究所研究員。専門は、13、14世紀アラゴン連合王国制度史。2008年のジャウメ1世生誕800周年記念学会(カタルーニャ文化研究所)で準備委員を務める。
主要著者:La senyoria de Beniparrell (1258-1419): Dels Roman als Escriv de Roman, Beniparrell, Ayuntamiento de Beniparrell, 2008.
博士論文(2010年審査予定):“La configuraci del pactisme valenci. Fiscalitat reial, relacions de poder i assemblees parlamentries al regne de Valncia entre mitjan segle XIII i mitjan segle XIV(1250-1360)”.
1955年神戸市生まれ。1985年京都大学文学部博士課程単位取得後退学(西洋史)。スペイン・ナバラ大学で博士号取得。京都大学・立命館大学非常勤講師(スペイン語、スペイン史)をつとめる。現在、長崎精道学園三川台高校指導司祭兼社会科教師。専門は、スペイン中世史。
主要論文:「レコンキスタとイベリア半島」(江川温・服部良久編著『西欧中世史』中、ミネルヴァ書房、1995年、253—281頁)。「マリア・デ・モリナ」(高橋博幸・加藤隆浩編『スペインの女性群像:その生の軌跡』イスパニア叢書10、行路社、2003年、25—39頁)。
ビセント・バイダル(Vicent Baydal)
1979年バレンシア生まれ。バレンシア大学修士課程修了。現在、バルセローナ歴史博物館研究所研究員。専門は、13、14世紀アラゴン連合王国制度史。2008年のジャウメ1世生誕800周年記念学会(カタルーニャ文化研究所)で準備委員を務める。
主要著者:La senyoria de Beniparrell (1258-1419): Dels Roman als Escriv de Roman, Beniparrell, Ayuntamiento de Beniparrell, 2008.
博士論文(2010年審査予定):“La configuraci del pactisme valenci. Fiscalitat reial, relacions de poder i assemblees parlamentries al regne de Valncia entre mitjan segle XIII i mitjan segle XIV(1250-1360)”.
凡 例
第一章 ジャウメ一世の誕生と少年期(一二〇八〜一二二七年)
一 序 言
二 ジャウメの母后マリアの誕生
三 ジャウメの両親の結婚
四 モンペリエの相続権を巡る係争
五 ジャウメの誕生
六 父ペレ二世
七 母マリア
八 ミュレーの戦い(一)
九 ミュレーの戦い(二)
一〇 ジャウメの身柄奪還とモンソンでの養育
一一 リェイダのコルテス
一二 アラゴン貴族間の抗争
一三 プロヴァンス伯のモンソン脱出
一四 ジャウメの出立
一五 貴族たちに翻弄される幼王(一)
一六 貴族たちに翻弄される幼王(二)
一七 カスティーリャ王女レオノールとの結婚(一)
一八 カスティーリャ王女レオノールとの結婚(二)
一九 騎士叙品
二〇 大貴族間の対立と内戦(一)
二一 大貴族間の対立と内戦(二)
二二 裏切りとサラゴサでの監禁生活(一)
二三 裏切りとサラゴサでの監禁生活(二)
二四 裏切りとサラゴサでの監禁生活(三)
二五 ペドロ・アオネースの殺害(一)
二六 ペドロ・アオネースの殺害(二)
二七 ペドロ・アオネースの殺害(三)
二八 アラゴン内乱(一)
二九 アラゴン内乱(二)
三〇 アラゴン内乱(三)
三一 アラゴン内乱(四)
三二 アラゴン内乱(五)
三三 和 解
第二章 ウルジェユ伯領の相続問題の解決(一二二八年)
三四 ウルジェユ伯爵領の相続問題
三五 アウレンビアシュの訴え
三六 裁判とその頓挫
三七 伯領奪回の戦争
三八 メナールゲンスの征服
三九 リニョラの征服
四〇 バラゲル戦争(一)
四一 バラゲル戦争(二)
四二 バラゲル戦争(三)
四三 バラゲル戦争(四)
四四 バラゲルの降伏
四五 アグラムントの奪回
四六 ポンスとカラサンスの降伏
第三章 バレアーレス諸島の征服(一二二九〜一二三五年)
[第一節 マリョルカ征服の発議と決定]
四七 タラゴナでの宴会
四八 バルセローナのコルテス(一)
四九 バルセローナのコルテス(二)
五〇 ギリェム・デ・モントカダの演説
五一 ヌノー・サンシェスの演説
五二 タラゴナ大司教の演説
五三 バルセローナ司教とジロナ司教の演説
五四 修道院長とバルセローナ市民が続く
五五 出陣の期日を決めてコルテスを散会
[第二節 マリョルカ遠征と首都の征服]
五六 遠征艦隊の出航
五七 暴風に会う
五八 艦隊、パロメラに接近
五九 サンタ・ポンサの沖合に碇泊
六〇 最初の合戦とジャウメの武勲
六一 ジャウメ、重臣より軽率を咎められる
六二 バルセローナ司教の説教
六三 ポルトピーの戦い(一)
六四 ポルトピーの戦い(二)
六五 キリスト教軍の勝利
六六 ギリェム・デ・モントカダの戦死が告げられる
六七 宿営に戻り、通夜を行う
六八 埋葬と王の演説
六九 首都の攻城の開始
七〇 サラセン人の奇襲を防ぐ
七一 島の郡部のサラセン人が降伏を申し込む
七二 坑道による城壁の一部の破壊
七三 糧食の備蓄地をめぐる攻防
七四 城側、交渉を申し入れる
七五 王、戦費を受け取り撤退する案を拒否
七六 マリョルカ王との交渉(一)
七七 マリョルカ王との交渉(二)
七八 マリョルカ王との交渉(三)
七九 交渉決裂
八〇 貴族たちは強硬な態度を後悔
八一 総攻撃を前にした将兵全員の誓い
八二 郡部のサラセン人が不穏な動きを見せる
八三 総攻撃の前夜
八四 首都への総攻撃(一)
八五 首都への総攻撃(二)
八六 首都の陥落
八七 マリョルカ王の捕縛
八八 町の略奪
八九 大貴族たち、戦利品の競売を主張
九〇 競売に対する騎士と平民の不満と暴動
九一 暴動が続く。ジャウメの暴動鎮圧策
九二 疫病の発生
[第三節 マリョルカの山岳地帯の征服]
九三 山岳部のサラセン人掃討作戦(一)
九四 山岳部のサラセン人掃討作戦(二)
九五 ホスピタル騎士団の来島
九六 王、騎士団に土地を下賜
九七 騎士団への住居の下賜
九八 再度の山岳地のサラセン人掃討作戦(一)
九九 再度の山岳地のサラセン人掃討作戦(二)
一〇〇 再度の山岳地のサラセン人掃討作戦(三)
一〇一 再度の山岳地のサラセン人掃討作戦(四)
一〇二 サラセン人、交渉を申し込む
一〇三 サラセン人の降伏
一〇四 アラゴンからの援軍の到着
一〇五 王、守備隊長を任命し、島を去る
一〇六 本土に帰還。レオン王の崩御を知る
一〇七 タラゴナ港での事故
[第四節 第二第三回のマリョルカ遠征とイビサの征服]
一〇八 マリョルカへの再渡航
一〇九 タラゴナ大司教の反対を振り切る
一一〇 出航。ヌノーとポルトガル王子が同行
一一一 マリョルカ到着。サラセン人は見当らず
一一二 海からの敵の来襲に対する備えを整える
一一三 山岳地帯の残党の降伏
一一四 王、本土に帰還
一一五 マリョルカからの使者、王の渡航を願う
一一六 マリョルカへの渡航
一一七 島での歓迎。メノルカ征服の提議
一一八 メノルカに降伏を勧告する使節を派遣
一一九 シウタデリャでの交渉
一二〇 サラセン人の協議。王の工作
一二一 サラセン人、降伏文書の作成
一二二 メノルカの代表団の到着
一二三 ジャウメとの会談。降伏文書に署名
一二四 王の帰還。バレアーレス諸島の繁栄
一二五 イビサの征服(一)
一二六 イビサの征服(二)
第四章 バレンシア王国の征服(一)——シュケル川以北の征服(一二三一〜一二三八年)
[第一節 アルカニスの会談とモレーリャの征服]
一二七 アルカニスの会談(一)
一二八 アルカニスの会談(二)
一二九 アルカニスの会談(三)
一三〇 アルカニスの会談(四)
一三一 アルカニスの会談(五)
一三二 アレスの陥落の報が届く
一三三 アレスへの道中でモレーリャ陥落を知る
一三四 モレーリャに到着。城外でブラスコを待つ
一三五 ブラスコが現れ、市内に入ろうとする
一三六 王はブラスコにモレーリャの譲渡を要求
一三七 ブラスコ、王の要求を受諾
[第二節 ナバラ王との同盟交渉]
一三八 ナバラ王の招待でトゥデラに赴く
一三九 ナバラ王、ジャウメに相互養子縁組を提案
一四〇 養子縁組の交渉(一)
一四一 養子縁組の交渉(二)
一四二 アラゴン側の協議
一四三 ジャウメ、提案の受諾を通達
一四四 養子縁組の条約の宣誓
一四五 対カスティーリャ作戦の軍議(一)
一四六 対カスティーリャ作戦の軍議(二)
一四七 ジャウメ、戦略を披露
一四八 ナバラ王の拒絶
一四九 ジャウメ、再びナバラ王の怒りを買う
一五〇 国境から援軍派遣を求める使者の到着
一五一 ナバラ王、援軍派遣を拒否
一五二 交渉決裂。一行はナバラを去る
[第三節 ボリアーナの征服]
一五三 王軍、テルエルに結集し出陣
一五四 先行部隊からの援軍の求めが来る
一五五 シェリカ周辺の麦畑の刈り取り
一五六 他の部隊と合流し、ボリアーナを包囲
一五七 イタリア人技師、移動櫓の製作を提案
一五八 移動櫓の製作方法の説明
一五九 櫓を移動させる方法
一六〇 王は作戦の延期を勧めるも、技師は拒絶
一六一 櫓の移動の失敗(一)
一六二 櫓の移動の失敗(二)
一六三 櫓の移動の失敗(三)
一六四 ガレー船の来航。王、その残留を求める
一六五 停泊を巡る交渉
一六六 アラゴン貴族、王に撤退を進言
一六七 王は断固として拒否
一六八 王、近臣に苦しい心情を吐露
一六九 王、反対派を押さえる策を示す
一七〇 軍議。ベルナット・ギリェムの献策
一七一 ベルナット、城壁の近くに陣取る
一七二 サラセン人の夜討ち
一七三 王、ベルナットの傷の手当をする
一七四 サラセン人の再度の攻撃
一七五 地下坑道の完成。総攻撃の指示
一七六 総攻撃
一七七 サラセン人が交渉を求めるも、王は拒絶
一七八 ボリアーナの陥落。全住民の退去
[第四節 カステリョン県の諸城の降伏]
一七九 ボリアーナに守備軍を置く
一八〇 王、親しい要人から撤退を勧められる
一八一 王、撤退を断固拒否
一八二 ペニスコラの降伏(一)
一八三 ペニスコラの降伏(二)
一八四 ペニスコラの降伏(三)
一八五 チベルトとセルベラの降伏
一八六 ボリアーナに戻り、周辺の諸城を落とす
[第五節 シュケル川流域への遠征]
一八七 王軍、バレンシア平原の中部に到着
一八八 敵と一戦交えることなく帰還
一八九 ボリアーナの守備隊長、周辺を襲撃
一九〇 アルマソラの占領(一)
一九一 アルマソラの占領(二)
一九二 シュケル川流域への遠征
一九三 クリェラ攻撃についての評議
一九四 城攻めのための調査と軍議
一九五 叔父フェルナンドの反対により攻撃は中止
一九六 王、モンカダ攻撃を提案
一九七 作戦内容の説明
一九八 モンカダ攻撃についての評議(一)
一九九 モンカダ攻撃についての評議(二)
二〇〇 モンカダ攻撃についての評議(三)
二〇一 攻撃開始
二〇二 モンカダ陥落
二〇三 ムセロスの塔の陥落
二〇四 捕虜になっていた貴族を買い戻す
二〇五 王、借金を返済し、ボリアーナを去る
[第六節 プッチの戦い]
二〇六 ベルナット・ギリェムに大役を打診
二〇七 ベルナット、王の依頼を受諾
二〇八 テルエルからプッチへの移動
二〇九 王は作戦を貴族たちに披露
二一〇 ザヤーン軍接近の知らせ
二一一 プッチに到着、築城にかかる
二一二 プッチからの出撃
二一三 ベルナットの到着
二一四 ベルナットの告白
二一五 王の提案
二一六 タラゴナから食糧を送る
二一七 プッチの戦い(一)
二一八 プッチの戦い(二)
二一九 兵糧を集め、プッチに向かう
二二〇 戦闘で失われた軍馬の調達
二二一 サグントからプッチに帰還
二二二 ボリアーナに帰還。プッチからの伝令
二二三 ザヤーンが攻撃をしかけるとの報が入る
二二四 プッチに向かう
二二五 プッチを離れてボリアーナに向かう
二二六 敵の部隊との遭遇
二二七 多勢の敵軍とにらみ合う
二二八 ボリアーナ到着
二二九 臆病な石弓兵を罰する
二三〇 トルトサで動員令を出し、サラゴサに
二三一 ベルナット・ギリェムの訃報
二三二 王、ベルナットの死を悼む
二三三 大貴族たちは撤退を勧める
二三四 王、撤退に断固反対
二三五 プッチで、ベルナットを暫時的に埋葬
二三六 プッチの騎士たちの逃亡計画が発覚
二三七 王の演説
二三八 騎士たちは残留。王は王妃を呼ぶ
二三九 王妃と叔父にプッチでの出来事を説明
二四〇 叔父と王妃は征服作戦の中断を勧告
二四一 王、不退転の決意を表明
二四二 ザヤーン、交換条件を提示
[第七節 バレンシア王国中北部の降伏]
二四三 アルメナラとの交渉(一)
二四四 アルメナラとの交渉(二)
二四五 アルメナラとの交渉(三)
二四六 アルメナラの城代の降伏(一)
二四七 アルメナラの城代の降伏(二)
二四八 王妃を呼び、一緒に食事をする
二四九 ウショー、ヌレス、カストロとの交渉
二五〇 ウショーの降伏(一)
二五一 ウショーの降伏(二)
二五二 ヌレスの降伏
二五三 アルファンデックの降伏
二五四 パテルナ、ベテラ、ブフィリャの降伏
[第八節 バレンシア市の包囲と征服]
二五五 バレンシア包囲の開始を決断
二五六 王の軍、バレンシアの港付近に移動
二五七 王、ルサファに陣取る
二五八 王、町の周辺への出撃案を拒否
二五九 ザヤーンの軍は退去
二六〇 バレンシア包囲網の完成
二六一 攻撃に関する軍議
二六二 投石機を稼働、城門の櫓に穴を開ける
二六三 シリャの陥落
二六四 チュニス王の艦隊の到着
二六五 チュニス王の艦隊の引き上げ
二六六 王の負傷
二六七 二人の大貴族の抜け駆けとその失敗
二六八 ボアディーリャ門の塔を落とす
二六九 ザヤーンの落胆を知る
二七〇 陣営の士気が高まる
二七一 ザヤーンの使節との交渉(一)
二七二 ザヤーンの使節との交渉(二)
二七三 馬上試合
二七四 アブルハマレク元帥との交渉(一)
二七五 アブルハマレク元帥との交渉(二)
二七六 アブルハマレク元帥との交渉(三)
二七七 アブルハマレク元帥との交渉(四)
二七八 ザヤーンは降伏を受け入れる
二七九 王は住民の安全な退去を保証
二八〇 開城の日を決める
二八一 王は全軍にバレンシア降伏を発表
二八二 町の塔に王旗掲揚
二八三 住民の退去
二八四 家屋と土地の分配(一)
二八五 家屋と土地の分配(二)
二八六 家屋と土地の分配(三)
二八七 家屋と土地の分配(四)
二八八 家屋と土地の分配(五)
二八九 家屋と土地の分配(六)
二九〇 ラモン・フォルク、ビリェナを攻撃
二九一 サクスでの敗戦とラモンの帰国
二九二 王、バレンシアの守備を騎士たちに頼む
二九三 貴族たちの提案
二九四 王はその案を承諾
第五章 モンペリエの騒動の鎮圧(一二三九年)
二九五 王、バレンシアを立ち、モンペリエに
二九六 ペレ・ボニファチ、王の代官を中傷
二九七 王の和解を命じる
二九八 アトブラン、王に一策を提示
二九九 農民たちの参向
三〇〇 皮なめし職人たちの参向
三〇一 穀物職人たちの参向
三〇二 製塩職人たちの参向
三〇三 王、町民に演説
三〇四 反乱分子は逃亡、モンペリエに秩序を回復
三〇五 モンペリエでの他の仕事と皆既日食
第六章 バレンシア王国の征服(二)——シュケル川以南の征服(一二三九〜一二四二年)
[第一節 シュケル川以南への進出]
三〇六 サラセン人への暴虐行為の処置
三〇七 バイレーン渓谷に進出、ザヤーンとの会見
三〇八 バイレーンの城主との会談(一)
三〇九 バイレーンの城主との会談(二)
三一〇 バイレーンの城主との会談(三)
三一一 ビリェナの攻撃。バイレーン降伏
三一二 バイレーンの降伏(一)
三一三 バイレーンの降伏(二)
三一四 バイレーンの降伏(三)
三一五 ビリェナの降伏
三一六 王、バレンシアを離れる
[第二節 シャティバの包囲]
三一七 シャティバのモーロ人との衝突
三一八 シャティバに出陣
三一九 シャティバの城主との交渉
三二〇 シャティバの包囲(一)
三二一 シャティバの包囲(二)
三二二 城主は交渉を持ちかけるも、王は拒否
三二三 陣営での暴力沙汰(一)
三二四 陣営での暴力沙汰(二)
三二五 シャティバの重臣、王のユダヤ人顧問に接近
三二六 王、ユダヤ人顧問に城内の事情を探らせる
三二七 カステリョーの引き渡し。シャティバ包囲の終了
三二八 王、アラゴンとカタルーニャに帰還
第七章 バレンシア王国の征服(三)——征服の完了とカスティーリャ(一二四二〜一二五八年)
[第一節 アルシラの征服]
三二九 アルシラの降伏(一)
三三〇 アルシラの降伏(二)
三三一 アルシラの降伏(三)
三三二 アルシラの降伏(四)
三三三 シャティバのモーロ人との武力衝突
三三四 シャティバ城主への詰問(一)
三三五 シャティバ城主への詰問(二)
三三六 城主の弁論
三三七 王は争議に裁定者を立てることを主張
三三八 交渉の決裂
[第二節 カスティーリャとの国境紛争(アルミスラ条約)]
三三九 シャティバの包囲、カスティーリャの工作
三四〇 カスティーリャの工作員の処刑
三四一 エンゲラを巡る係争(一)
三四二 エンゲラを巡る係争(二)
三四三 アルミスラ条約(一)
三四四 アルミスラ条約(二)
三四五 アルミスラ条約(三)
三四六 アルミスラ条約(四)
三四七 アルミスラ条約(五)
三四八 アルミスラ条約(六)
三四九 アルミスラ条約(七)
[第三節 バレンシア王国の征服の完了——シャティバ、ビアルの降伏]
三五〇 シャティバの降伏(一)
三五一 シャティバの降伏(二)
三五二 シャティバの降伏(三)
三五三 シャティバの降伏(四)
三五四 シャティバの降伏(五)
三五五 ビアルの降伏(一)
三五六 ビアルの降伏(二)
三五七 ビアルの降伏(三)
三五八 ビアルの降伏(四)
三五九 ビアルの降伏(五)
三六〇 バレンシア王国征服の完了
[第四節 アル・アスラックの反乱]
三六一 アル・アスラックの蜂起
三六二 王、シャティバに到着
三六三 アル・アスラックの反乱の進行
三六四 王の演説(一)
三六五 王の演説(二)
三六六 王の演説(三)
三六七 王、臨戦態勢を整え、モーロ人追放令を発布
三六八 内戦の勃発
三六九 サラセン人の追放
三七〇 アル・アスラックの反乱(一)
三七一 アル・アスラックの反乱(二)
三七二 アル・アスラックの反乱(三)
三七三 アル・アスラックの反乱(四)
三七四 アル・アスラックの反乱(五)
三七五 アル・アスラックの反乱(六)
三七六 アル・アスラックの最後
三七七 アル・アスラックについての逸話
第八章 アンダルシーアのムデハルの大反乱とムルシアの再征服(一二六四〜一二六七年)
[第一節 ムルシアへの派兵を巡る貴族たちとの論争]
三七八 グラナダ王の陰謀
三七九 カスティーリャが援軍を催促
三八〇 王、ウエスカで重臣に諮る
三八一 アラゴンの重臣たちの意見
三八二 王の意見
三八三 バルセローナのコルテス(一)
三八四 バルセローナのコルテス(二)
三八五 バルセローナのコルテス(三)
三八六 バルセローナのコルテス(四)
三八七 バルセローナのコルテス(五)
三八八 アラゴンの大貴族との交渉(一)
三八九 アラゴンの大貴族との交渉(二)
三九〇 アラゴンの大貴族との交渉(三)
三九一 アラゴンの大貴族との交渉(四)
三九二 アラゴンの大貴族との交渉(五)
三九三 アラゴンの大貴族との交渉(六)
三九四 貴族の反抗
三九五 王と貴族の討論(一)
三九六 王と貴族の討論(二)
三九七 王と貴族の討論(三)
三九八 王と貴族の討論(四)
三九九 王、カタルーニャの貴族と都市を動員
四〇〇 王、宣戦を布告
四〇一 戦争の勃発
四〇二 仲介案が出される
四〇三 モンソンで和解交渉を決めた文書に調印
四〇四 サラゴサでの裁定
四〇五 サラゴサでの裁定の失敗
[第二節 ムルシアの再征服]
四〇六 王、ムルシア遠征に出立
四〇七 テルエル市民、王の援助要請に応える
四〇八 王、バレンシア市民に援助を要請
四〇九 バレンシア市民の答え
四一〇 ビリェナのサラセン人に降伏を勧める
四一一 ビリェナのサラセン人、王の提案を呑む
四一二 双方が合意文書に調印
四一三 エルダのサラセン人、王に保護を求める
四一四 ペトレルのサラセン人、王に城を明け渡す
四一五 アラカントに到着。全軍への訓辞
四一六 エルチのサラセン人との下交渉(一)
四一七 エルチのサラセン人との下交渉(二)
四一八 エルチのサラセン人との下交渉(三)
四一九 軍議、諸将はエルチの攻撃を支持
四二〇 エルチの降伏(一)
四二一 エルチの降伏(二)
四二二 クレビエンテの降伏
四二三 敵の大輜重隊の接近が告げられる
四二四 全員、即座の攻撃を主張するが、王は反対
四二五 ウクレース騎士団長、王に出撃を要請
四二六 王、戦を前にして司祭に罪の赦しを願う
四二七 王子たちを激励
四二八 敵の逃亡。王は追撃を禁じる
四二九 アルカンタリーリャでの軍議
四三〇 王、カスティーリャ王との会見に向かう
四三一 オリウエラでの軍議
四三二 アルカラスでのカスティーリャ王との会見
四三三 オリウエラへの帰還
四三四 ムルシア市の包囲(一)
四三五 ムルシア市の包囲(二)
四三六 ムルシアのサラセン人との交渉(一)
四三七 ムルシアのサラセン人との交渉(二)
四三八 ムルシアのサラセン人との交渉(三)
四三九 ムルシアのサラセン人との交渉(四)
四四〇 ムルシアのサラセン人との交渉(五)
四四一 ムルシアのサラセン人との交渉(六)
四四二 ムルシアのサラセン人との交渉(七)
四四三 ムルシア市の占領
四四四 サラセン人の抗議
四四五 町のモスクを巡りサラセン人と対立
四四六 家臣たちは町の分割に反対
四四七 王、住民を郊外に出す案を提示
四四八 話は平行線を辿る
四四九 王、サラセン人を威嚇
四五〇 王宮の脇の教会に聖母の祭壇を置く
四五一 教会での初ミサ
四五二 今後の施策についての評議(一)
四五三 今後の施策についての評議(二)
四五四 カスティーリャ王にムルシアを渡す
四五五 王、アルメリーア遠征を提案
四五六 ムルシアとの国境の守備体制を固める
[第三節 貴族の反乱]
四五七 王は、モンペリエに。ジロナでの貴族の抗争
四五八 モンゴル王の使者の到着
四五九 反乱の鎮圧(一)
四六〇 反乱の鎮圧(二)
四六一 反乱の鎮圧(三)
四六二 反乱の鎮圧(四)
四六三 反乱の鎮圧(五)
四六四 反乱の鎮圧(六)
第九章 タラソナの偽金事件(一二六七年)
四六六 タラソナで偽金作りの噂を聞く
四六七 密告者の登場(一)
四六八 密告者の登場(二)
四六九 首謀者の一人の自白と提案
四七〇 関係者の尋問
四七一 事件の解決
第一〇章 王女の死去とサンチョ王子の司教叙階(一二六八年)
四七二 王女マリアの訃報
四七三 王女の遺言の執行
四七四 トレド大司教サンチョの招待が届く
四七五 王、サンチョとともにトレドに入城
第一一章 失敗した聖地十字軍(一二六九年)
四七六 モンゴルへの使者の帰還
四七七 ジャウメの決意
四七八 ホスピタル管区長、協力を申し出る
四七九 カスティーリャ王、管区長に許可
四八〇 カスティーリャ王、資金面で協力
四八一 王、バレンシアに帰還
四八二 モンゴルの大汗の私信が届く
四八三 王の家族の反対
四八四 出 航
四八五 再び出航するが、嵐に会う
四八六 嵐の中の航行(一)
四八七 嵐の中の航行(二)
四八八 嵐の中の航行(三)
四八九 王、艦隊の帰港を決定
四九〇 ヴォーヴェールに帰港
四九一 王、地方の名士たちから非難を浴びる
四九二 王、モンペリエの町衆に援助を要請
四九三 モンペリエの町衆の答え
第一二章 カスティーリャ滞在と娘婿との様々な会話(一二六九〜一二七二年)
四九四 ジャウメ、カスティーリャに
四九五 カスティーリャ皇太子の結婚式
四九六 カスティーリャの大貴族への助言
四九七 カスティーリャ王とタラソナで降誕祭を祝う
四九八 カスティーリャ王への六つの助言
四九九 病床のカスティーリャ王を見舞う
五〇〇 バレンシア市の代官を巡る係争
五〇一 カスティーリャ王をバレンシア市で歓迎
五〇二 バレンシア南部で二つの村を植民
五〇三 スエラ村の訴えを聞きアラゴンに向かう
五〇四 スエラ村とアルタル・デ・ルナの係争の判決
五〇五 カスティーリャ王からの会見の要請
五〇六 アラカントでカスティーリャ王と会見
五〇七 ジャウメの助言
第一三章 親子の対立と和解(一二七二〜一二七三年)
五〇八 ペレ皇太子の異母弟暗殺未遂事件
五〇九 リェイダでペレ皇太子を尋問
五一〇 バレンシアでペレと過ごす
五一一 ペレ皇太子への戒告
五一二 ペレ、王の許を無断で立ち去る
五一三 ペレの使者の到来
五一四 使者、アラゴン貴族の陰謀を暴露する
五一五 王、アラゴン貴族たちに申し開きを要請
五一六 王、ペレに裁きを約束
五一七 アルシラのコルテス(一)
五一八 アルシラのコルテス(二)
五一九 ペレは大貴族の説得に応じず
五二〇 王と皇太子の和解(一)
五二一 王と皇太子の和解(二)
五二二 ムルシア訪問
第一四章 リヨンの公会議(一二七四年)
五二三 リヨン公会議に招かれる
五二四 リヨン到着と歓迎
五二五 教皇との初謁見
五二六 教皇の演説
五二七 ジャウメの演説
五二八 公会議の会議(一)
五二九 公会議の会議(二)
五三〇 教皇、十字軍参加を励ます
五三一 十字軍の戦略についてのジャウメの提案
五三二 十字軍の戦略についての論議(一)
五三三 十字軍の戦略についての論議(二)
五三四 十字軍遠征案は却下される
五三五 ジャウメ、会場をあとにする
五三六 ジャウメ、教皇からの戴冠を打診
五三七 教皇はペレ二世の約した朝貢を要求
五三八 ジャウメは要求を取り下げる
五三九 教皇、ジャウメを賞賛
五四〇 教皇にエンリケ王子の釈放を取り次ぐ(一)
五四一 教皇にエンリケ王子の釈放を取り次ぐ(二)
五四二 ジャウメ、出立に際し、教皇から赦しの秘跡を受ける
第一五章 晩年の苦境と死(一二七四〜一二七六年)
五四三 カタルーニャの貴族の反抗(一)
五四四 カタルーニャの貴族の反抗(二)
五四五 貴族の蜂起
五四六 貴族たち、代理人を通じて裁判を願う
五四七 リェイダの裁判(一)
五四八 リェイダの裁判(二)
五四九 裁判の破局
五五〇 フェルナンド・サンチェスの死
五五一 貴族たちの降伏
五五二 リェイダのコルテスの開始
五五三 大貴族たち、リェイダから無断で退去
五五四 バレンシアの暴動とその鎮圧
五五五 バレンシアのムデハルの反乱
五五六 モーロ人たちとの戦い(一)
五五七 モーロ人たちとの戦い(二)
五五八 モーロ人たちとの戦い(三)
五五九 リュチェントの大敗北
五六〇 王、病床に伏す
五六一 ペレ太子を呼ぶ
五六二 ジャウメの遺言(一)
五六三 ジャウメの遺言(二)
五六四 ジャウメの遺言(三)
五六五 ジャウメの遺言(四)
五六六 ジャウメの死去
解題1 イベリア半島略史——ジャウメ一世の登場まで(尾崎明夫)
解題2 ジャウメ一世の『勲功録』とは何か——自己の治世の名誉回復の試みとして(ビセント・バイダル)
あとがき(尾崎明夫)
系譜図
ジャウメ一世の家族
ジャウメ一世関連年表
参考文献一覧
人名索引
地名索引
Agraments(Akio Ozaki)
第一章 ジャウメ一世の誕生と少年期(一二〇八〜一二二七年)
一 序 言
二 ジャウメの母后マリアの誕生
三 ジャウメの両親の結婚
四 モンペリエの相続権を巡る係争
五 ジャウメの誕生
六 父ペレ二世
七 母マリア
八 ミュレーの戦い(一)
九 ミュレーの戦い(二)
一〇 ジャウメの身柄奪還とモンソンでの養育
一一 リェイダのコルテス
一二 アラゴン貴族間の抗争
一三 プロヴァンス伯のモンソン脱出
一四 ジャウメの出立
一五 貴族たちに翻弄される幼王(一)
一六 貴族たちに翻弄される幼王(二)
一七 カスティーリャ王女レオノールとの結婚(一)
一八 カスティーリャ王女レオノールとの結婚(二)
一九 騎士叙品
二〇 大貴族間の対立と内戦(一)
二一 大貴族間の対立と内戦(二)
二二 裏切りとサラゴサでの監禁生活(一)
二三 裏切りとサラゴサでの監禁生活(二)
二四 裏切りとサラゴサでの監禁生活(三)
二五 ペドロ・アオネースの殺害(一)
二六 ペドロ・アオネースの殺害(二)
二七 ペドロ・アオネースの殺害(三)
二八 アラゴン内乱(一)
二九 アラゴン内乱(二)
三〇 アラゴン内乱(三)
三一 アラゴン内乱(四)
三二 アラゴン内乱(五)
三三 和 解
第二章 ウルジェユ伯領の相続問題の解決(一二二八年)
三四 ウルジェユ伯爵領の相続問題
三五 アウレンビアシュの訴え
三六 裁判とその頓挫
三七 伯領奪回の戦争
三八 メナールゲンスの征服
三九 リニョラの征服
四〇 バラゲル戦争(一)
四一 バラゲル戦争(二)
四二 バラゲル戦争(三)
四三 バラゲル戦争(四)
四四 バラゲルの降伏
四五 アグラムントの奪回
四六 ポンスとカラサンスの降伏
第三章 バレアーレス諸島の征服(一二二九〜一二三五年)
[第一節 マリョルカ征服の発議と決定]
四七 タラゴナでの宴会
四八 バルセローナのコルテス(一)
四九 バルセローナのコルテス(二)
五〇 ギリェム・デ・モントカダの演説
五一 ヌノー・サンシェスの演説
五二 タラゴナ大司教の演説
五三 バルセローナ司教とジロナ司教の演説
五四 修道院長とバルセローナ市民が続く
五五 出陣の期日を決めてコルテスを散会
[第二節 マリョルカ遠征と首都の征服]
五六 遠征艦隊の出航
五七 暴風に会う
五八 艦隊、パロメラに接近
五九 サンタ・ポンサの沖合に碇泊
六〇 最初の合戦とジャウメの武勲
六一 ジャウメ、重臣より軽率を咎められる
六二 バルセローナ司教の説教
六三 ポルトピーの戦い(一)
六四 ポルトピーの戦い(二)
六五 キリスト教軍の勝利
六六 ギリェム・デ・モントカダの戦死が告げられる
六七 宿営に戻り、通夜を行う
六八 埋葬と王の演説
六九 首都の攻城の開始
七〇 サラセン人の奇襲を防ぐ
七一 島の郡部のサラセン人が降伏を申し込む
七二 坑道による城壁の一部の破壊
七三 糧食の備蓄地をめぐる攻防
七四 城側、交渉を申し入れる
七五 王、戦費を受け取り撤退する案を拒否
七六 マリョルカ王との交渉(一)
七七 マリョルカ王との交渉(二)
七八 マリョルカ王との交渉(三)
七九 交渉決裂
八〇 貴族たちは強硬な態度を後悔
八一 総攻撃を前にした将兵全員の誓い
八二 郡部のサラセン人が不穏な動きを見せる
八三 総攻撃の前夜
八四 首都への総攻撃(一)
八五 首都への総攻撃(二)
八六 首都の陥落
八七 マリョルカ王の捕縛
八八 町の略奪
八九 大貴族たち、戦利品の競売を主張
九〇 競売に対する騎士と平民の不満と暴動
九一 暴動が続く。ジャウメの暴動鎮圧策
九二 疫病の発生
[第三節 マリョルカの山岳地帯の征服]
九三 山岳部のサラセン人掃討作戦(一)
九四 山岳部のサラセン人掃討作戦(二)
九五 ホスピタル騎士団の来島
九六 王、騎士団に土地を下賜
九七 騎士団への住居の下賜
九八 再度の山岳地のサラセン人掃討作戦(一)
九九 再度の山岳地のサラセン人掃討作戦(二)
一〇〇 再度の山岳地のサラセン人掃討作戦(三)
一〇一 再度の山岳地のサラセン人掃討作戦(四)
一〇二 サラセン人、交渉を申し込む
一〇三 サラセン人の降伏
一〇四 アラゴンからの援軍の到着
一〇五 王、守備隊長を任命し、島を去る
一〇六 本土に帰還。レオン王の崩御を知る
一〇七 タラゴナ港での事故
[第四節 第二第三回のマリョルカ遠征とイビサの征服]
一〇八 マリョルカへの再渡航
一〇九 タラゴナ大司教の反対を振り切る
一一〇 出航。ヌノーとポルトガル王子が同行
一一一 マリョルカ到着。サラセン人は見当らず
一一二 海からの敵の来襲に対する備えを整える
一一三 山岳地帯の残党の降伏
一一四 王、本土に帰還
一一五 マリョルカからの使者、王の渡航を願う
一一六 マリョルカへの渡航
一一七 島での歓迎。メノルカ征服の提議
一一八 メノルカに降伏を勧告する使節を派遣
一一九 シウタデリャでの交渉
一二〇 サラセン人の協議。王の工作
一二一 サラセン人、降伏文書の作成
一二二 メノルカの代表団の到着
一二三 ジャウメとの会談。降伏文書に署名
一二四 王の帰還。バレアーレス諸島の繁栄
一二五 イビサの征服(一)
一二六 イビサの征服(二)
第四章 バレンシア王国の征服(一)——シュケル川以北の征服(一二三一〜一二三八年)
[第一節 アルカニスの会談とモレーリャの征服]
一二七 アルカニスの会談(一)
一二八 アルカニスの会談(二)
一二九 アルカニスの会談(三)
一三〇 アルカニスの会談(四)
一三一 アルカニスの会談(五)
一三二 アレスの陥落の報が届く
一三三 アレスへの道中でモレーリャ陥落を知る
一三四 モレーリャに到着。城外でブラスコを待つ
一三五 ブラスコが現れ、市内に入ろうとする
一三六 王はブラスコにモレーリャの譲渡を要求
一三七 ブラスコ、王の要求を受諾
[第二節 ナバラ王との同盟交渉]
一三八 ナバラ王の招待でトゥデラに赴く
一三九 ナバラ王、ジャウメに相互養子縁組を提案
一四〇 養子縁組の交渉(一)
一四一 養子縁組の交渉(二)
一四二 アラゴン側の協議
一四三 ジャウメ、提案の受諾を通達
一四四 養子縁組の条約の宣誓
一四五 対カスティーリャ作戦の軍議(一)
一四六 対カスティーリャ作戦の軍議(二)
一四七 ジャウメ、戦略を披露
一四八 ナバラ王の拒絶
一四九 ジャウメ、再びナバラ王の怒りを買う
一五〇 国境から援軍派遣を求める使者の到着
一五一 ナバラ王、援軍派遣を拒否
一五二 交渉決裂。一行はナバラを去る
[第三節 ボリアーナの征服]
一五三 王軍、テルエルに結集し出陣
一五四 先行部隊からの援軍の求めが来る
一五五 シェリカ周辺の麦畑の刈り取り
一五六 他の部隊と合流し、ボリアーナを包囲
一五七 イタリア人技師、移動櫓の製作を提案
一五八 移動櫓の製作方法の説明
一五九 櫓を移動させる方法
一六〇 王は作戦の延期を勧めるも、技師は拒絶
一六一 櫓の移動の失敗(一)
一六二 櫓の移動の失敗(二)
一六三 櫓の移動の失敗(三)
一六四 ガレー船の来航。王、その残留を求める
一六五 停泊を巡る交渉
一六六 アラゴン貴族、王に撤退を進言
一六七 王は断固として拒否
一六八 王、近臣に苦しい心情を吐露
一六九 王、反対派を押さえる策を示す
一七〇 軍議。ベルナット・ギリェムの献策
一七一 ベルナット、城壁の近くに陣取る
一七二 サラセン人の夜討ち
一七三 王、ベルナットの傷の手当をする
一七四 サラセン人の再度の攻撃
一七五 地下坑道の完成。総攻撃の指示
一七六 総攻撃
一七七 サラセン人が交渉を求めるも、王は拒絶
一七八 ボリアーナの陥落。全住民の退去
[第四節 カステリョン県の諸城の降伏]
一七九 ボリアーナに守備軍を置く
一八〇 王、親しい要人から撤退を勧められる
一八一 王、撤退を断固拒否
一八二 ペニスコラの降伏(一)
一八三 ペニスコラの降伏(二)
一八四 ペニスコラの降伏(三)
一八五 チベルトとセルベラの降伏
一八六 ボリアーナに戻り、周辺の諸城を落とす
[第五節 シュケル川流域への遠征]
一八七 王軍、バレンシア平原の中部に到着
一八八 敵と一戦交えることなく帰還
一八九 ボリアーナの守備隊長、周辺を襲撃
一九〇 アルマソラの占領(一)
一九一 アルマソラの占領(二)
一九二 シュケル川流域への遠征
一九三 クリェラ攻撃についての評議
一九四 城攻めのための調査と軍議
一九五 叔父フェルナンドの反対により攻撃は中止
一九六 王、モンカダ攻撃を提案
一九七 作戦内容の説明
一九八 モンカダ攻撃についての評議(一)
一九九 モンカダ攻撃についての評議(二)
二〇〇 モンカダ攻撃についての評議(三)
二〇一 攻撃開始
二〇二 モンカダ陥落
二〇三 ムセロスの塔の陥落
二〇四 捕虜になっていた貴族を買い戻す
二〇五 王、借金を返済し、ボリアーナを去る
[第六節 プッチの戦い]
二〇六 ベルナット・ギリェムに大役を打診
二〇七 ベルナット、王の依頼を受諾
二〇八 テルエルからプッチへの移動
二〇九 王は作戦を貴族たちに披露
二一〇 ザヤーン軍接近の知らせ
二一一 プッチに到着、築城にかかる
二一二 プッチからの出撃
二一三 ベルナットの到着
二一四 ベルナットの告白
二一五 王の提案
二一六 タラゴナから食糧を送る
二一七 プッチの戦い(一)
二一八 プッチの戦い(二)
二一九 兵糧を集め、プッチに向かう
二二〇 戦闘で失われた軍馬の調達
二二一 サグントからプッチに帰還
二二二 ボリアーナに帰還。プッチからの伝令
二二三 ザヤーンが攻撃をしかけるとの報が入る
二二四 プッチに向かう
二二五 プッチを離れてボリアーナに向かう
二二六 敵の部隊との遭遇
二二七 多勢の敵軍とにらみ合う
二二八 ボリアーナ到着
二二九 臆病な石弓兵を罰する
二三〇 トルトサで動員令を出し、サラゴサに
二三一 ベルナット・ギリェムの訃報
二三二 王、ベルナットの死を悼む
二三三 大貴族たちは撤退を勧める
二三四 王、撤退に断固反対
二三五 プッチで、ベルナットを暫時的に埋葬
二三六 プッチの騎士たちの逃亡計画が発覚
二三七 王の演説
二三八 騎士たちは残留。王は王妃を呼ぶ
二三九 王妃と叔父にプッチでの出来事を説明
二四〇 叔父と王妃は征服作戦の中断を勧告
二四一 王、不退転の決意を表明
二四二 ザヤーン、交換条件を提示
[第七節 バレンシア王国中北部の降伏]
二四三 アルメナラとの交渉(一)
二四四 アルメナラとの交渉(二)
二四五 アルメナラとの交渉(三)
二四六 アルメナラの城代の降伏(一)
二四七 アルメナラの城代の降伏(二)
二四八 王妃を呼び、一緒に食事をする
二四九 ウショー、ヌレス、カストロとの交渉
二五〇 ウショーの降伏(一)
二五一 ウショーの降伏(二)
二五二 ヌレスの降伏
二五三 アルファンデックの降伏
二五四 パテルナ、ベテラ、ブフィリャの降伏
[第八節 バレンシア市の包囲と征服]
二五五 バレンシア包囲の開始を決断
二五六 王の軍、バレンシアの港付近に移動
二五七 王、ルサファに陣取る
二五八 王、町の周辺への出撃案を拒否
二五九 ザヤーンの軍は退去
二六〇 バレンシア包囲網の完成
二六一 攻撃に関する軍議
二六二 投石機を稼働、城門の櫓に穴を開ける
二六三 シリャの陥落
二六四 チュニス王の艦隊の到着
二六五 チュニス王の艦隊の引き上げ
二六六 王の負傷
二六七 二人の大貴族の抜け駆けとその失敗
二六八 ボアディーリャ門の塔を落とす
二六九 ザヤーンの落胆を知る
二七〇 陣営の士気が高まる
二七一 ザヤーンの使節との交渉(一)
二七二 ザヤーンの使節との交渉(二)
二七三 馬上試合
二七四 アブルハマレク元帥との交渉(一)
二七五 アブルハマレク元帥との交渉(二)
二七六 アブルハマレク元帥との交渉(三)
二七七 アブルハマレク元帥との交渉(四)
二七八 ザヤーンは降伏を受け入れる
二七九 王は住民の安全な退去を保証
二八〇 開城の日を決める
二八一 王は全軍にバレンシア降伏を発表
二八二 町の塔に王旗掲揚
二八三 住民の退去
二八四 家屋と土地の分配(一)
二八五 家屋と土地の分配(二)
二八六 家屋と土地の分配(三)
二八七 家屋と土地の分配(四)
二八八 家屋と土地の分配(五)
二八九 家屋と土地の分配(六)
二九〇 ラモン・フォルク、ビリェナを攻撃
二九一 サクスでの敗戦とラモンの帰国
二九二 王、バレンシアの守備を騎士たちに頼む
二九三 貴族たちの提案
二九四 王はその案を承諾
第五章 モンペリエの騒動の鎮圧(一二三九年)
二九五 王、バレンシアを立ち、モンペリエに
二九六 ペレ・ボニファチ、王の代官を中傷
二九七 王の和解を命じる
二九八 アトブラン、王に一策を提示
二九九 農民たちの参向
三〇〇 皮なめし職人たちの参向
三〇一 穀物職人たちの参向
三〇二 製塩職人たちの参向
三〇三 王、町民に演説
三〇四 反乱分子は逃亡、モンペリエに秩序を回復
三〇五 モンペリエでの他の仕事と皆既日食
第六章 バレンシア王国の征服(二)——シュケル川以南の征服(一二三九〜一二四二年)
[第一節 シュケル川以南への進出]
三〇六 サラセン人への暴虐行為の処置
三〇七 バイレーン渓谷に進出、ザヤーンとの会見
三〇八 バイレーンの城主との会談(一)
三〇九 バイレーンの城主との会談(二)
三一〇 バイレーンの城主との会談(三)
三一一 ビリェナの攻撃。バイレーン降伏
三一二 バイレーンの降伏(一)
三一三 バイレーンの降伏(二)
三一四 バイレーンの降伏(三)
三一五 ビリェナの降伏
三一六 王、バレンシアを離れる
[第二節 シャティバの包囲]
三一七 シャティバのモーロ人との衝突
三一八 シャティバに出陣
三一九 シャティバの城主との交渉
三二〇 シャティバの包囲(一)
三二一 シャティバの包囲(二)
三二二 城主は交渉を持ちかけるも、王は拒否
三二三 陣営での暴力沙汰(一)
三二四 陣営での暴力沙汰(二)
三二五 シャティバの重臣、王のユダヤ人顧問に接近
三二六 王、ユダヤ人顧問に城内の事情を探らせる
三二七 カステリョーの引き渡し。シャティバ包囲の終了
三二八 王、アラゴンとカタルーニャに帰還
第七章 バレンシア王国の征服(三)——征服の完了とカスティーリャ(一二四二〜一二五八年)
[第一節 アルシラの征服]
三二九 アルシラの降伏(一)
三三〇 アルシラの降伏(二)
三三一 アルシラの降伏(三)
三三二 アルシラの降伏(四)
三三三 シャティバのモーロ人との武力衝突
三三四 シャティバ城主への詰問(一)
三三五 シャティバ城主への詰問(二)
三三六 城主の弁論
三三七 王は争議に裁定者を立てることを主張
三三八 交渉の決裂
[第二節 カスティーリャとの国境紛争(アルミスラ条約)]
三三九 シャティバの包囲、カスティーリャの工作
三四〇 カスティーリャの工作員の処刑
三四一 エンゲラを巡る係争(一)
三四二 エンゲラを巡る係争(二)
三四三 アルミスラ条約(一)
三四四 アルミスラ条約(二)
三四五 アルミスラ条約(三)
三四六 アルミスラ条約(四)
三四七 アルミスラ条約(五)
三四八 アルミスラ条約(六)
三四九 アルミスラ条約(七)
[第三節 バレンシア王国の征服の完了——シャティバ、ビアルの降伏]
三五〇 シャティバの降伏(一)
三五一 シャティバの降伏(二)
三五二 シャティバの降伏(三)
三五三 シャティバの降伏(四)
三五四 シャティバの降伏(五)
三五五 ビアルの降伏(一)
三五六 ビアルの降伏(二)
三五七 ビアルの降伏(三)
三五八 ビアルの降伏(四)
三五九 ビアルの降伏(五)
三六〇 バレンシア王国征服の完了
[第四節 アル・アスラックの反乱]
三六一 アル・アスラックの蜂起
三六二 王、シャティバに到着
三六三 アル・アスラックの反乱の進行
三六四 王の演説(一)
三六五 王の演説(二)
三六六 王の演説(三)
三六七 王、臨戦態勢を整え、モーロ人追放令を発布
三六八 内戦の勃発
三六九 サラセン人の追放
三七〇 アル・アスラックの反乱(一)
三七一 アル・アスラックの反乱(二)
三七二 アル・アスラックの反乱(三)
三七三 アル・アスラックの反乱(四)
三七四 アル・アスラックの反乱(五)
三七五 アル・アスラックの反乱(六)
三七六 アル・アスラックの最後
三七七 アル・アスラックについての逸話
第八章 アンダルシーアのムデハルの大反乱とムルシアの再征服(一二六四〜一二六七年)
[第一節 ムルシアへの派兵を巡る貴族たちとの論争]
三七八 グラナダ王の陰謀
三七九 カスティーリャが援軍を催促
三八〇 王、ウエスカで重臣に諮る
三八一 アラゴンの重臣たちの意見
三八二 王の意見
三八三 バルセローナのコルテス(一)
三八四 バルセローナのコルテス(二)
三八五 バルセローナのコルテス(三)
三八六 バルセローナのコルテス(四)
三八七 バルセローナのコルテス(五)
三八八 アラゴンの大貴族との交渉(一)
三八九 アラゴンの大貴族との交渉(二)
三九〇 アラゴンの大貴族との交渉(三)
三九一 アラゴンの大貴族との交渉(四)
三九二 アラゴンの大貴族との交渉(五)
三九三 アラゴンの大貴族との交渉(六)
三九四 貴族の反抗
三九五 王と貴族の討論(一)
三九六 王と貴族の討論(二)
三九七 王と貴族の討論(三)
三九八 王と貴族の討論(四)
三九九 王、カタルーニャの貴族と都市を動員
四〇〇 王、宣戦を布告
四〇一 戦争の勃発
四〇二 仲介案が出される
四〇三 モンソンで和解交渉を決めた文書に調印
四〇四 サラゴサでの裁定
四〇五 サラゴサでの裁定の失敗
[第二節 ムルシアの再征服]
四〇六 王、ムルシア遠征に出立
四〇七 テルエル市民、王の援助要請に応える
四〇八 王、バレンシア市民に援助を要請
四〇九 バレンシア市民の答え
四一〇 ビリェナのサラセン人に降伏を勧める
四一一 ビリェナのサラセン人、王の提案を呑む
四一二 双方が合意文書に調印
四一三 エルダのサラセン人、王に保護を求める
四一四 ペトレルのサラセン人、王に城を明け渡す
四一五 アラカントに到着。全軍への訓辞
四一六 エルチのサラセン人との下交渉(一)
四一七 エルチのサラセン人との下交渉(二)
四一八 エルチのサラセン人との下交渉(三)
四一九 軍議、諸将はエルチの攻撃を支持
四二〇 エルチの降伏(一)
四二一 エルチの降伏(二)
四二二 クレビエンテの降伏
四二三 敵の大輜重隊の接近が告げられる
四二四 全員、即座の攻撃を主張するが、王は反対
四二五 ウクレース騎士団長、王に出撃を要請
四二六 王、戦を前にして司祭に罪の赦しを願う
四二七 王子たちを激励
四二八 敵の逃亡。王は追撃を禁じる
四二九 アルカンタリーリャでの軍議
四三〇 王、カスティーリャ王との会見に向かう
四三一 オリウエラでの軍議
四三二 アルカラスでのカスティーリャ王との会見
四三三 オリウエラへの帰還
四三四 ムルシア市の包囲(一)
四三五 ムルシア市の包囲(二)
四三六 ムルシアのサラセン人との交渉(一)
四三七 ムルシアのサラセン人との交渉(二)
四三八 ムルシアのサラセン人との交渉(三)
四三九 ムルシアのサラセン人との交渉(四)
四四〇 ムルシアのサラセン人との交渉(五)
四四一 ムルシアのサラセン人との交渉(六)
四四二 ムルシアのサラセン人との交渉(七)
四四三 ムルシア市の占領
四四四 サラセン人の抗議
四四五 町のモスクを巡りサラセン人と対立
四四六 家臣たちは町の分割に反対
四四七 王、住民を郊外に出す案を提示
四四八 話は平行線を辿る
四四九 王、サラセン人を威嚇
四五〇 王宮の脇の教会に聖母の祭壇を置く
四五一 教会での初ミサ
四五二 今後の施策についての評議(一)
四五三 今後の施策についての評議(二)
四五四 カスティーリャ王にムルシアを渡す
四五五 王、アルメリーア遠征を提案
四五六 ムルシアとの国境の守備体制を固める
[第三節 貴族の反乱]
四五七 王は、モンペリエに。ジロナでの貴族の抗争
四五八 モンゴル王の使者の到着
四五九 反乱の鎮圧(一)
四六〇 反乱の鎮圧(二)
四六一 反乱の鎮圧(三)
四六二 反乱の鎮圧(四)
四六三 反乱の鎮圧(五)
四六四 反乱の鎮圧(六)
第九章 タラソナの偽金事件(一二六七年)
四六六 タラソナで偽金作りの噂を聞く
四六七 密告者の登場(一)
四六八 密告者の登場(二)
四六九 首謀者の一人の自白と提案
四七〇 関係者の尋問
四七一 事件の解決
第一〇章 王女の死去とサンチョ王子の司教叙階(一二六八年)
四七二 王女マリアの訃報
四七三 王女の遺言の執行
四七四 トレド大司教サンチョの招待が届く
四七五 王、サンチョとともにトレドに入城
第一一章 失敗した聖地十字軍(一二六九年)
四七六 モンゴルへの使者の帰還
四七七 ジャウメの決意
四七八 ホスピタル管区長、協力を申し出る
四七九 カスティーリャ王、管区長に許可
四八〇 カスティーリャ王、資金面で協力
四八一 王、バレンシアに帰還
四八二 モンゴルの大汗の私信が届く
四八三 王の家族の反対
四八四 出 航
四八五 再び出航するが、嵐に会う
四八六 嵐の中の航行(一)
四八七 嵐の中の航行(二)
四八八 嵐の中の航行(三)
四八九 王、艦隊の帰港を決定
四九〇 ヴォーヴェールに帰港
四九一 王、地方の名士たちから非難を浴びる
四九二 王、モンペリエの町衆に援助を要請
四九三 モンペリエの町衆の答え
第一二章 カスティーリャ滞在と娘婿との様々な会話(一二六九〜一二七二年)
四九四 ジャウメ、カスティーリャに
四九五 カスティーリャ皇太子の結婚式
四九六 カスティーリャの大貴族への助言
四九七 カスティーリャ王とタラソナで降誕祭を祝う
四九八 カスティーリャ王への六つの助言
四九九 病床のカスティーリャ王を見舞う
五〇〇 バレンシア市の代官を巡る係争
五〇一 カスティーリャ王をバレンシア市で歓迎
五〇二 バレンシア南部で二つの村を植民
五〇三 スエラ村の訴えを聞きアラゴンに向かう
五〇四 スエラ村とアルタル・デ・ルナの係争の判決
五〇五 カスティーリャ王からの会見の要請
五〇六 アラカントでカスティーリャ王と会見
五〇七 ジャウメの助言
第一三章 親子の対立と和解(一二七二〜一二七三年)
五〇八 ペレ皇太子の異母弟暗殺未遂事件
五〇九 リェイダでペレ皇太子を尋問
五一〇 バレンシアでペレと過ごす
五一一 ペレ皇太子への戒告
五一二 ペレ、王の許を無断で立ち去る
五一三 ペレの使者の到来
五一四 使者、アラゴン貴族の陰謀を暴露する
五一五 王、アラゴン貴族たちに申し開きを要請
五一六 王、ペレに裁きを約束
五一七 アルシラのコルテス(一)
五一八 アルシラのコルテス(二)
五一九 ペレは大貴族の説得に応じず
五二〇 王と皇太子の和解(一)
五二一 王と皇太子の和解(二)
五二二 ムルシア訪問
第一四章 リヨンの公会議(一二七四年)
五二三 リヨン公会議に招かれる
五二四 リヨン到着と歓迎
五二五 教皇との初謁見
五二六 教皇の演説
五二七 ジャウメの演説
五二八 公会議の会議(一)
五二九 公会議の会議(二)
五三〇 教皇、十字軍参加を励ます
五三一 十字軍の戦略についてのジャウメの提案
五三二 十字軍の戦略についての論議(一)
五三三 十字軍の戦略についての論議(二)
五三四 十字軍遠征案は却下される
五三五 ジャウメ、会場をあとにする
五三六 ジャウメ、教皇からの戴冠を打診
五三七 教皇はペレ二世の約した朝貢を要求
五三八 ジャウメは要求を取り下げる
五三九 教皇、ジャウメを賞賛
五四〇 教皇にエンリケ王子の釈放を取り次ぐ(一)
五四一 教皇にエンリケ王子の釈放を取り次ぐ(二)
五四二 ジャウメ、出立に際し、教皇から赦しの秘跡を受ける
第一五章 晩年の苦境と死(一二七四〜一二七六年)
五四三 カタルーニャの貴族の反抗(一)
五四四 カタルーニャの貴族の反抗(二)
五四五 貴族の蜂起
五四六 貴族たち、代理人を通じて裁判を願う
五四七 リェイダの裁判(一)
五四八 リェイダの裁判(二)
五四九 裁判の破局
五五〇 フェルナンド・サンチェスの死
五五一 貴族たちの降伏
五五二 リェイダのコルテスの開始
五五三 大貴族たち、リェイダから無断で退去
五五四 バレンシアの暴動とその鎮圧
五五五 バレンシアのムデハルの反乱
五五六 モーロ人たちとの戦い(一)
五五七 モーロ人たちとの戦い(二)
五五八 モーロ人たちとの戦い(三)
五五九 リュチェントの大敗北
五六〇 王、病床に伏す
五六一 ペレ太子を呼ぶ
五六二 ジャウメの遺言(一)
五六三 ジャウメの遺言(二)
五六四 ジャウメの遺言(三)
五六五 ジャウメの遺言(四)
五六六 ジャウメの死去
解題1 イベリア半島略史——ジャウメ一世の登場まで(尾崎明夫)
解題2 ジャウメ一世の『勲功録』とは何か——自己の治世の名誉回復の試みとして(ビセント・バイダル)
あとがき(尾崎明夫)
系譜図
ジャウメ一世の家族
ジャウメ一世関連年表
参考文献一覧
人名索引
地名索引
Agraments(Akio Ozaki)