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シュタイナーの思想を支える人智学は、人間を物質体、エーテル体、アストラル体、自我の構成体と見る独特の人間観があり、理解するのがむずかしい。著者は、シュタイナーに関する厖大なドイツ語文献を精査し、特にゲーテ、シラー、ニーチェの三思想家に関する彼の解釈を読み解くことによって、シュタイナー思想の本質を明らかにする。
『教育学研究』第80巻第1号、113-115頁、評者:今井重孝氏
井藤 元(いとう げん)
1980年愛知県生まれ。2011年京都大学大学院教育学研究科博士課程修了。
博士(教育学)。2009-2011年日本学術振興会特別研究員DC。
現在、大阪成蹊短期大学児童教育学科専任講師。
主な著作
『学校史でまなぶ日本近現代史』(共著、地歴社、2007年)、『「対人援助学」キーワード集』(共著、晃洋書房、2009年)、『教育原理』(共著、一藝社、2012年)、『子どもの心によりそう保育原理』(共著、福村出版、2012年)、『子どもの心によりそう保育者論』(共著、福村出版、2012年)、『子どもの心によりそう保育・教育課程論』(共著、福村出版、2012年)。
1980年愛知県生まれ。2011年京都大学大学院教育学研究科博士課程修了。
博士(教育学)。2009-2011年日本学術振興会特別研究員DC。
現在、大阪成蹊短期大学児童教育学科専任講師。
主な著作
『学校史でまなぶ日本近現代史』(共著、地歴社、2007年)、『「対人援助学」キーワード集』(共著、晃洋書房、2009年)、『教育原理』(共著、一藝社、2012年)、『子どもの心によりそう保育原理』(共著、福村出版、2012年)、『子どもの心によりそう保育者論』(共著、福村出版、2012年)、『子どもの心によりそう保育・教育課程論』(共著、福村出版、2012年)。
凡 例
はじめに
序 論
一 実践と思想の乖離状況
二 先行研究の四類型
三 本研究の方法—二つの操作
四 第一の操作
—本研究の問題圏(試金石としてのゲーテ・シラー・ニーチェ)
五 第二の操作—本研究の舞台(時期区分)
六 本研究の構成
七 「自由への教育」の内実
第Ⅰ部 通奏低音としてのシラー『美的書簡』—転回期の思想
1章 転回期—瀬戸際に立つシュタイナー
一 転回期からの出発
二 伝記的背景
三 ゲーテ研究の転回
四 シュタイナーとシラー
五 『美的書簡』をめぐって
2章 シラー美的教育論をめぐる諸論
一 『美的書簡』への賛辞と批判
二 『美的書簡』解釈はなぜ困難か
三 『美的書簡』批判の四類型
3章 シュタイナーの基本構図
一 ゲーテ=シラーの思想圏
二 『美的書簡』とゲーテ『メールヒェン』
三 「ゲーテ—シラー往復書簡」におけるシラーの告白
四 ゲーテ『メールヒェン』とは
五 「遊戯衝動」とは何か
—感性的衝動と形式衝動の統合としての「遊戯衝動」
六 シラーの「二元循環的構図」
4章 シュタイナーの『美的書簡』解釈
一 『メールヒェン』に潜在する構図—二世界の架橋
二 『美的書簡』批判への回答
三 『美的書簡』とゲーテ文学を合わせ鏡にする必要性
四 シュタイナー思想を支える『美的書簡』の構図
補論1 シュタイナーによる『美的書簡』解釈の妥当性について
—『崇高論』によるシラー美的教育論再考
一 『美的書簡』未完説を手がかりに
二 「美(優美)」と「崇高」、両者の質的相違
三 「崇高」における「混合感情」—「崇高」の具体的事例
四 「パテーティッシュなもの」としての「崇高」
あるいは「デモーニッシュなもの」としての「崇高」
五 「美(優美)」と「崇高」の統合
—「美(優美)」と「崇高」の関係図式
六 『崇高論』に基づく『美的書簡』再解釈の可能性
—「融解的な美」と「緊張的な美」について
七 『美的書簡』のアポリアをめぐって
補論2 「遊戯衝動」の具象化 —ゲーテ『ヘルマンとドロテーア』における「遊戯衝動」の顕現
第Ⅱ部 「ゲーテ自然科学」あるいは『ツァラトゥストラ』との対峙 —思想研究者時代の思想
5章 思想研究者シュタイナーのゲーテ自然科学研究
一 思想研究者時代のシュタイナー
二 シュタイナーとゲーテ自然科学
三 「経験 Erfahrung」と「思考 Denken」—「思考」の特権性
四 無機的自然の認識、有機的自然の認識
五 「直観的思考 intuitives Denken」の能動性
六 自然認識(Naturerkenntnis)から自己認識(Selbsterkenntnis)へ
七 模範としてのシラー
八 ゲーテ自然科学からゲーテ文学へ
6章 思想研究者シュタイナーのニーチェ研究
一 シュタイナーとニーチェ
二 ニーチェの形式
三 シュタイナーのニーチェ論—試金石としてのニーチェ
四 シュタイナーは「超人」をいかに読み解いたか
—ニーチェ「超人」思想への賛同
五 ニーチェ思想への不満
六 『自由の哲学』について
七 「道徳的想像力」とは何か
7章 「自由の哲学」の舞台裏 —ニーチェ論に潜在するゲーテ的自然観
一 「道徳的想像力」の思想的背景
二 ゲーテの自然認識
—原型(Typus)、メタモルフォーゼ(Metamorphose)と直観
三 ゲーテ的直観の「自己認識」への応用
四 ゲーテとニーチェのはざまで
五 ゲーテ自然科学及びニーチェ思想からの脱皮
第Ⅲ部 人智学的世界観の縮図としての『メールヒェン』もしくは『ファウスト』—霊的指導者時代の思想
8章 一九〇二年の『ファウスト』論
一 霊的指導者時代のゲーテ文学研究
二 霊的指導者時代のシュタイナー—神智学から人智学へ
三 シュタイナーと『ファウスト』
四 認識の無限の拡大
五 『ファウスト』をシュタイナー人間形成論のプロトタイプと見る
六 ファウストの遍歴
9章 一九一八年の『ファウスト』論
一 『ファウスト』論㈼の射程
二 「悪」—感覚的世界の体験が必要であるが、しかし「悪」である
三 人智学における「悪」の位置づけ
—メフィストーフェレスと「自由」
四 知恵(Weisheit)としての「科学」
—ゲーテ自然科学が感覚的世界と超感覚的世界を架橋する
五 人智学的「自由」とは何か—マクロコスモスと調和する「自由」
六 『ファウスト』論の変遷にみる人智学の展開
10章 霊的指導者時代の『メールヒェン』論
一 『メールヒェン』論の変遷
二 三世界について
三 「自由」獲得の前提としての自己変容
四 高次の自己の誕生
五 「自由」の獲得状態—思考、感情、意志の独立
六 「メールヒェン論」αと「メールヒェン論」βの異同
七 『メールヒェン』論と『ファウスト』論の通底と差異
八 二世界の交流—ミクロレベルとマクロレベル
補論3 「自由」の射程353
一 ゲーテ、シラー、ニーチェを超えて
二 ライフサイクルの観点から見た「自由」
三 宇宙進化論の観点から見た「自由」
四 「社会有機体論」の観点から見た「自由」
五 人智学的「自由」の思想的基盤
終章
一 秘教から顕教へ—秘教の復権
二 三つのヴェール
三 本書のまとめ—特にシラーを顧慮して
四 シュタイナーと三思想家の関係
五 人智学的人間形成論
引用文献
初出一覧
あとがき
索引(人名・事項)
はじめに
序 論
一 実践と思想の乖離状況
二 先行研究の四類型
三 本研究の方法—二つの操作
四 第一の操作
—本研究の問題圏(試金石としてのゲーテ・シラー・ニーチェ)
五 第二の操作—本研究の舞台(時期区分)
六 本研究の構成
七 「自由への教育」の内実
第Ⅰ部 通奏低音としてのシラー『美的書簡』—転回期の思想
1章 転回期—瀬戸際に立つシュタイナー
一 転回期からの出発
二 伝記的背景
三 ゲーテ研究の転回
四 シュタイナーとシラー
五 『美的書簡』をめぐって
2章 シラー美的教育論をめぐる諸論
一 『美的書簡』への賛辞と批判
二 『美的書簡』解釈はなぜ困難か
三 『美的書簡』批判の四類型
3章 シュタイナーの基本構図
一 ゲーテ=シラーの思想圏
二 『美的書簡』とゲーテ『メールヒェン』
三 「ゲーテ—シラー往復書簡」におけるシラーの告白
四 ゲーテ『メールヒェン』とは
五 「遊戯衝動」とは何か
—感性的衝動と形式衝動の統合としての「遊戯衝動」
六 シラーの「二元循環的構図」
4章 シュタイナーの『美的書簡』解釈
一 『メールヒェン』に潜在する構図—二世界の架橋
二 『美的書簡』批判への回答
三 『美的書簡』とゲーテ文学を合わせ鏡にする必要性
四 シュタイナー思想を支える『美的書簡』の構図
補論1 シュタイナーによる『美的書簡』解釈の妥当性について
—『崇高論』によるシラー美的教育論再考
一 『美的書簡』未完説を手がかりに
二 「美(優美)」と「崇高」、両者の質的相違
三 「崇高」における「混合感情」—「崇高」の具体的事例
四 「パテーティッシュなもの」としての「崇高」
あるいは「デモーニッシュなもの」としての「崇高」
五 「美(優美)」と「崇高」の統合
—「美(優美)」と「崇高」の関係図式
六 『崇高論』に基づく『美的書簡』再解釈の可能性
—「融解的な美」と「緊張的な美」について
七 『美的書簡』のアポリアをめぐって
補論2 「遊戯衝動」の具象化 —ゲーテ『ヘルマンとドロテーア』における「遊戯衝動」の顕現
第Ⅱ部 「ゲーテ自然科学」あるいは『ツァラトゥストラ』との対峙 —思想研究者時代の思想
5章 思想研究者シュタイナーのゲーテ自然科学研究
一 思想研究者時代のシュタイナー
二 シュタイナーとゲーテ自然科学
三 「経験 Erfahrung」と「思考 Denken」—「思考」の特権性
四 無機的自然の認識、有機的自然の認識
五 「直観的思考 intuitives Denken」の能動性
六 自然認識(Naturerkenntnis)から自己認識(Selbsterkenntnis)へ
七 模範としてのシラー
八 ゲーテ自然科学からゲーテ文学へ
6章 思想研究者シュタイナーのニーチェ研究
一 シュタイナーとニーチェ
二 ニーチェの形式
三 シュタイナーのニーチェ論—試金石としてのニーチェ
四 シュタイナーは「超人」をいかに読み解いたか
—ニーチェ「超人」思想への賛同
五 ニーチェ思想への不満
六 『自由の哲学』について
七 「道徳的想像力」とは何か
7章 「自由の哲学」の舞台裏 —ニーチェ論に潜在するゲーテ的自然観
一 「道徳的想像力」の思想的背景
二 ゲーテの自然認識
—原型(Typus)、メタモルフォーゼ(Metamorphose)と直観
三 ゲーテ的直観の「自己認識」への応用
四 ゲーテとニーチェのはざまで
五 ゲーテ自然科学及びニーチェ思想からの脱皮
第Ⅲ部 人智学的世界観の縮図としての『メールヒェン』もしくは『ファウスト』—霊的指導者時代の思想
8章 一九〇二年の『ファウスト』論
一 霊的指導者時代のゲーテ文学研究
二 霊的指導者時代のシュタイナー—神智学から人智学へ
三 シュタイナーと『ファウスト』
四 認識の無限の拡大
五 『ファウスト』をシュタイナー人間形成論のプロトタイプと見る
六 ファウストの遍歴
9章 一九一八年の『ファウスト』論
一 『ファウスト』論㈼の射程
二 「悪」—感覚的世界の体験が必要であるが、しかし「悪」である
三 人智学における「悪」の位置づけ
—メフィストーフェレスと「自由」
四 知恵(Weisheit)としての「科学」
—ゲーテ自然科学が感覚的世界と超感覚的世界を架橋する
五 人智学的「自由」とは何か—マクロコスモスと調和する「自由」
六 『ファウスト』論の変遷にみる人智学の展開
10章 霊的指導者時代の『メールヒェン』論
一 『メールヒェン』論の変遷
二 三世界について
三 「自由」獲得の前提としての自己変容
四 高次の自己の誕生
五 「自由」の獲得状態—思考、感情、意志の独立
六 「メールヒェン論」αと「メールヒェン論」βの異同
七 『メールヒェン』論と『ファウスト』論の通底と差異
八 二世界の交流—ミクロレベルとマクロレベル
補論3 「自由」の射程353
一 ゲーテ、シラー、ニーチェを超えて
二 ライフサイクルの観点から見た「自由」
三 宇宙進化論の観点から見た「自由」
四 「社会有機体論」の観点から見た「自由」
五 人智学的「自由」の思想的基盤
終章
一 秘教から顕教へ—秘教の復権
二 三つのヴェール
三 本書のまとめ—特にシラーを顧慮して
四 シュタイナーと三思想家の関係
五 人智学的人間形成論
引用文献
初出一覧
あとがき
索引(人名・事項)