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プリミエ・コレクション 132

自己否定する主体

一九三〇年代「日本」と「朝鮮」の思想的媒介

郭 旻錫

A5上製・346頁

ISBN: 9784814005154

発行年月: 2024/03

  • 本体: 4,400円(税込 4,840円

2月末〜3月初発売予定

 
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内容

朝鮮を含む帝国日本の思潮を総合的に描く。自己否定する主体という視点から、哲学・文芸批評・文学を読み解き、ポストコロニアリズムの理解からもれた日本・朝鮮の思想的関係を問う。

プロフィール

郭旻錫(カク ミンソク)
1990年ソウル生まれ。2023年京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。博士(人間・環境学)。
現在、京都大学人間・環境学研究科講師。
専門は、東アジア哲学。]

主な論文
「朴鍾鴻「ウリ」の哲学における民族的自己認識――三木哲学受容を一つの軸として」(『求真』第28号、2023年)、「帝国の不安、植民地の現実――一九三〇年代帝国日本における不安言説の越境について」(『比較文明』第38号、2022年)、「植民地朝鮮と田辺元――朴鍾鴻との比較を中心に」(『危機の時代と田辺哲学』法政大学出版局、2022年)、「田辺元の「種の論理」における帝国日本の民族的自己認識」(『哲学』第73号、2022年)など。

目次

序論 「帝国日本の思想」を捉える視座
――「自己否定する主体」と「思想的媒介」について
第1節 「主体」の意味を問い直す
第2節 「自己否定する主体」
第3節 一九三〇年代「日本」と「朝鮮」の「思想的媒介」
第4節 本書の構成

第Ⅰ部「帝国日本の哲学」における自己否定的な民族認識

第1章 田辺元と朴鍾鴻――「帝国日本の哲学」における「否定」の磁場
第1節 植民地朝鮮と京都学派
第2節 ハイデガー批判というトポス
第3節 帝国日本における二つの社会的存在論――社会の「自己否定」をめぐって
おわりに

第2章 「自己疎外態」としての民族――田辺元「種の論理」の再検討
第1節 「種の論理」の成立と民族的自己認識
第2節 「種」の根源的対立性から「種」という自己疎外態まで
第3節 「種」的自己認識と帝国日本
おわりに

第3章 「自己否定」による民族の模索――朴鍾鴻「ウリ」の哲学と三木清
はじめに
第1節 民族意識の自覚
第2節 朴鍾鴻哲学の生成と三木哲学
第3節 「ウリ」の哲学の展開

第Ⅱ部 アイロニカルな批評の主体における自己否定性

第1章 帝国の不安、植民地の現実
――一九三〇年代帝国日本における不安言説の越境について
はじめに
第1節 「シェストフ的不安」
第2節 無における主体への超越――三木の不安理解
第3節 現実というパラドックス、現実におけるパラドックス
第4節 交差する小林と戸坂
第5節 超克されない不安
第6節 三木清と朴鍾鴻における現実と実践
第7節 戦いそのものとしての現実
おわりに

第2章 「自己否定」としての「イロニー」、「イロニー」としての「日本」
――保田與重郎における「朝鮮」と「日本」
はじめに
第1節 保田の「朝鮮」
第2節 「日本」における「血統」の構築
おわりに

第3章 崔載瑞の批評における「個性滅却」の思想と皇道主義
はじめに
第1節 崔載瑞の初期批評における「秩序の文学観」と「個性滅却」の思想
第2節 死への可能性としての「個性滅却」――崔載瑞の皇道主義が意味したもの
おわりに

第Ⅲ部 帝国日本のモダニズム文学における「自己否定する主体」

第1章 横光利一における「朝鮮」の意味と李箱の対決意識
はじめに
第1節 横光文学の李箱への影響について
第2節 横光文学における「朝鮮」
第3節 「一着選手」横光と「二着選手」李箱
第4節 「泥棒と乞食」と「言語を蕩尽した浮浪者」
第5節 盗賊にあった「デッドマスク」をめぐって
第6節 失敗としての対抗

第2章 死を生きる主体の創出
――川端康成における「朝鮮」の意味と「「死」の存在論」
はじめに
第1節 生死一如という「救ひ」――一九二〇年代までの川端
第2節 「死者の書」における「朝鮮」の意味――「うつろな寂しさ」について
第3節 一九三〇年代川端の「「死」の存在論」

第3章 価値の零度――李箱における「東京」の意味について
はじめに
第1節 李箱と東京
第2節 「十九世紀」と「二十世紀」
第3節 「秘密」――李箱モダニズムの核心
第4節 李箱が東京に渡ったわけ――「秘密」の破綻
第5節 死への強迫からの脱出
第6節 東京と成川の平行関係――価値の零度

結 論

初出一覧
あとがき
参考文献一覧
索引(人名/事項)
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