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ポストモダンの行先が模索されるなか、出来事の個別性・一回性を重視する分野として注目される教育人間学。その源流は西田幾多郎の哲学にあった。〈自覚の始まり〉をめぐる西田の「私と汝」の思想を介して、戦前と戦後、哲学と教育学の境を越えた対話と応答を再現。緻密な文献考証に基づき教育人間学の理論的な再構築を行う冒険的試み。
髙谷掌子(たかやしょうこ)
1994年京都市生まれ。京都大学大学院教育学研究科教育学環専攻臨床教育学コース博士後期課程修了。博士(教育学)。現在、石川県西田幾多郎記念哲学館研究員。
主要業績
博士論文「西田幾多郎「私と汝」論の生成と発展――汝との応答を通した〈自覚の始まり〉」(京都大学大学院教育学研究科、2022年)。「「永遠の今」において隣人を愛する――『無の自覚的限定』における西田とアウグスティヌス」(『西田哲学会年報』、2020年)。Historical Nature in Nishida and Kimura Motomori: Nature, Culture, and Education in Harmony and Struggle(European Journal of Japanese Philosophy(7),2022).
1994年京都市生まれ。京都大学大学院教育学研究科教育学環専攻臨床教育学コース博士後期課程修了。博士(教育学)。現在、石川県西田幾多郎記念哲学館研究員。
主要業績
博士論文「西田幾多郎「私と汝」論の生成と発展――汝との応答を通した〈自覚の始まり〉」(京都大学大学院教育学研究科、2022年)。「「永遠の今」において隣人を愛する――『無の自覚的限定』における西田とアウグスティヌス」(『西田哲学会年報』、2020年)。Historical Nature in Nishida and Kimura Motomori: Nature, Culture, and Education in Harmony and Struggle(European Journal of Japanese Philosophy(7),2022).
はじめに
序 章 教育人間学から西田哲学への遡上――〈生成の事実〉と〈自覚の事実〉
第一節 京都学派と日本の教育学をめぐる思想史研究
第二節 森教育人間学から西田哲学への問い
第三節 西田哲学における〈自覚の事実〉と田邊による批判
第四節 本書のねらいと構成
第一部 西田哲学における〈自覚の始まり〉――「私と汝」論の内側
第一章 西田哲学における「私と汝」論の位置
第一節 西田哲学の時期区分
第二節 西田哲学の各時期における「自覚」概念
第三節 「私と汝」論の研究史
第四節 本書の課題と焦点
第二章 愛と悲哀――西田哲学の情意的なるもの
第一節 「愛」と「純粋感情」――初期・前期西田哲学の情意的なるもの
第二節 「自覚」における「自愛」――中期西田哲学の情意的なるもの
第三節 「情意的自覚の事実」――田邊からの批判以後
第四節 悲哀‐知としての西田哲学
第三章 愛と時――「私と汝」論の問い
第一節 「情意的自覚」への問題提起――アウグスティヌスと田邊の論点
第二節 時と愛の関係――「永遠の今の自己限定」としての時と「私と汝」の登場
第三節 「非連続の連続」における自己自身の維持
第四節 「私と汝」論が担う問い
第四章 私と汝――汝との応答を通した〈自覚の始まり〉
第一節 論文「私と汝」における〈自覚の始まり〉
第二節 〈自覚の始まり〉から見た「隣人愛」と「歴史の非合理性」の意義
第三節 「私と汝」論への再批判――木村敏による「絶対の他」解釈を通して
第四節 後期西田哲学への問い
補論 西田哲学の哲学史観――実在の諸相
第一節 古代ギリシャにおける「形相」
第二節 中世哲学における「人格的実在」
第三節 近代科学における「経験的実在」
第四節 「今日」における「歴史的実在」
第五節 哲学史を通して歴史的世界へ
第二部〈自覚の始まり〉を伝えること――「私と汝」論をめぐる応答
第五章 西田哲学における形成作用としての教育――自覚への近似
第一節 教育学における「形成」概念と制作の比喩
第二節 教育学論文までの西田哲学における「形成作用」の意義
第三節 教育学論文における「形成作用」の意義
第四節 戦略としての〈教育=一種の形成作用〉
第六章 自由意志をめぐる西田と木村の応答――〈自覚の始まり〉を示すこと
第一節 木村の「自由意志」問題と「表現」概念の誕生
第二節 西田からの応答――論文「自愛と他愛及び弁証法」・「自由意志」
第三節 木村からの応答――論文「意志と行為」
第四節 西田からの再応答――論文「教育学について」
第五節 「応答」によって〈自覚の始まり〉を示すこと
第七章 西田と木村の「歴史的自然」――人間の破壊性の自覚
第一節 西田哲学における「自然」と「歴史」と「歴史的自然」
第二節 木村素衞における「表現」と「自然」と「歴史的自然」
第三節 死を含む生命――自然と人間の不調和
第四節 木村から西田へ、西田から木村へ、木村から森への応答
終章 〈自覚の始まり〉の事実――西田哲学から森教育人間学への応答
第一節 本論の振り返り
第二節 西田哲学から森教育人間学への応答
第三節 教育人間学の地盤――〈自覚の始まり〉を跡付けること
あとがき
文献リスト
索引(事項/人名)
序 章 教育人間学から西田哲学への遡上――〈生成の事実〉と〈自覚の事実〉
第一節 京都学派と日本の教育学をめぐる思想史研究
第二節 森教育人間学から西田哲学への問い
第三節 西田哲学における〈自覚の事実〉と田邊による批判
第四節 本書のねらいと構成
第一部 西田哲学における〈自覚の始まり〉――「私と汝」論の内側
第一章 西田哲学における「私と汝」論の位置
第一節 西田哲学の時期区分
第二節 西田哲学の各時期における「自覚」概念
第三節 「私と汝」論の研究史
第四節 本書の課題と焦点
第二章 愛と悲哀――西田哲学の情意的なるもの
第一節 「愛」と「純粋感情」――初期・前期西田哲学の情意的なるもの
第二節 「自覚」における「自愛」――中期西田哲学の情意的なるもの
第三節 「情意的自覚の事実」――田邊からの批判以後
第四節 悲哀‐知としての西田哲学
第三章 愛と時――「私と汝」論の問い
第一節 「情意的自覚」への問題提起――アウグスティヌスと田邊の論点
第二節 時と愛の関係――「永遠の今の自己限定」としての時と「私と汝」の登場
第三節 「非連続の連続」における自己自身の維持
第四節 「私と汝」論が担う問い
第四章 私と汝――汝との応答を通した〈自覚の始まり〉
第一節 論文「私と汝」における〈自覚の始まり〉
第二節 〈自覚の始まり〉から見た「隣人愛」と「歴史の非合理性」の意義
第三節 「私と汝」論への再批判――木村敏による「絶対の他」解釈を通して
第四節 後期西田哲学への問い
補論 西田哲学の哲学史観――実在の諸相
第一節 古代ギリシャにおける「形相」
第二節 中世哲学における「人格的実在」
第三節 近代科学における「経験的実在」
第四節 「今日」における「歴史的実在」
第五節 哲学史を通して歴史的世界へ
第二部〈自覚の始まり〉を伝えること――「私と汝」論をめぐる応答
第五章 西田哲学における形成作用としての教育――自覚への近似
第一節 教育学における「形成」概念と制作の比喩
第二節 教育学論文までの西田哲学における「形成作用」の意義
第三節 教育学論文における「形成作用」の意義
第四節 戦略としての〈教育=一種の形成作用〉
第六章 自由意志をめぐる西田と木村の応答――〈自覚の始まり〉を示すこと
第一節 木村の「自由意志」問題と「表現」概念の誕生
第二節 西田からの応答――論文「自愛と他愛及び弁証法」・「自由意志」
第三節 木村からの応答――論文「意志と行為」
第四節 西田からの再応答――論文「教育学について」
第五節 「応答」によって〈自覚の始まり〉を示すこと
第七章 西田と木村の「歴史的自然」――人間の破壊性の自覚
第一節 西田哲学における「自然」と「歴史」と「歴史的自然」
第二節 木村素衞における「表現」と「自然」と「歴史的自然」
第三節 死を含む生命――自然と人間の不調和
第四節 木村から西田へ、西田から木村へ、木村から森への応答
終章 〈自覚の始まり〉の事実――西田哲学から森教育人間学への応答
第一節 本論の振り返り
第二節 西田哲学から森教育人間学への応答
第三節 教育人間学の地盤――〈自覚の始まり〉を跡付けること
あとがき
文献リスト
索引(事項/人名)