ホーム > 書籍詳細ページ
海は誰のものか.イギリスの歴史家ジョン・セルデンは,海を「公海」とする主張を退けるため,自国の外交文書はもちろんのこと,ローマやビザンチン帝国時代の文書,隣国の記録や学説を渉猟し,イギリスの海洋支配を正当化する議論を展開する.領海論,EEZ構想の先駆となる17世紀の熱い議論.
本田 裕志(ほんだ ひろし)
龍谷大学文学部元教授
1956年 東京都に生まれる
1987年 京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学
龍谷大学文学部助教授を経て、2007年より教授(2014年8月退職)
主な著訳書
『ベルクソン哲学における空間・延長・物質』(晃洋書房)
『生命倫理の現在』(共著、世界思想社)
『環境と倫理』(共著、有斐閣)
『応用倫理学事典』(共編著、丸善)
ホッブズ『市民論』『人間論』『物体論』(京都大学学術出版会)
サン―ピエール『永久平和論1』『永久平和論2』(京都大学学術出版会)
グロティウス/セルデン『海洋自由論/海洋閉鎖論1』(京都大学学術出版会)
龍谷大学文学部元教授
1956年 東京都に生まれる
1987年 京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学
龍谷大学文学部助教授を経て、2007年より教授(2014年8月退職)
主な著訳書
『ベルクソン哲学における空間・延長・物質』(晃洋書房)
『生命倫理の現在』(共著、世界思想社)
『環境と倫理』(共著、有斐閣)
『応用倫理学事典』(共編著、丸善)
ホッブズ『市民論』『人間論』『物体論』(京都大学学術出版会)
サン―ピエール『永久平和論1』『永久平和論2』(京都大学学術出版会)
グロティウス/セルデン『海洋自由論/海洋閉鎖論1』(京都大学学術出版会)
凡例
訳者からのメッセージ
セルデン『海洋閉鎖論2』
第二巻
第一章 この巻で述べられるべきことの順序。四つの部分に分割されたブリティッシュ洋
第二章 ブリテン島民たちは、まだローマの権力の下に降っていなかったとき、ブリティッシュ洋、わけても南方と東方のブリティッシュ洋を、ブリテン島とともに、支配者として占有したということ
第三章 ブリテン島民は、ローマ人に屈服する以前は北方の海の支配者であったこと。また、海と陸地とはただ一つのブリタニアの統一体をなしていたこと
第四章 ブリティッシュ洋〔に対するローマ帝国〕の支配権は、クラウディウスとドミティアヌスの両帝の時代に、グレートブリテン島そのものが〔ローマ帝国に〕征服された結果生じた
第五章 ドミティアヌス帝からコンスタンティウス・クロルス帝もしくはディオクレティアヌス帝までの時代の、ブリテン島の付属物としてのブリタニアの海域に関するローマ人の支配権について
第六章 コンスタンティヌス大帝の時代から、ローマ人がブリテン島に別れを告げたときに至るまでの、ブリタニアに関する命令権に随伴する南方と東方の海の支配権について。この支配権はその全体が、全英サクソン海岸伯の総督権の下にあったこと。【また、ローマ人の下でのブリタニア艦隊について。】
第七章 かの全英海岸伯がそこの伯爵だと言われたサクソン海岸とは、海のこちらのブリタニアの海岸のことだと主張する二、三の学者の意見が考察され、はっきりと論駁される
第八章 クラウディアヌス〔の詩〕から、またアントニヌス・ピウス帝の鋳造貨幣のうちの二、三のものから得られる、ブリテン島とブリティッシュ洋に対する同帝の不可分な命令権と支配権についての証跡
第九章 住民たちがローマ人の命令権から脱した後のブリタニアの海域の支配権について
第十章 ブリタニア南部の命令権を占有していたアングロ‐サクソン人とデーン人の海上支配権が、サクソン王国の起源と、彼らの海軍および諸々の海戦の勝利から見てとられる
第十一章 ブリタニアに君臨していたアングロサクソン人とデーン人の海上命令権は、諸々の貢納金と、信任された臣下たちの海事にかかわる義務とから、同じように見てとれること。また、海の守護のために提供されるならわしであった、デーンゲルドと言われる貢納金ないし俸給について
第十二章 イングランド王エドガーとクヌートおよびそれ以前の代の王たちの海上支配権についての、この両王の証言ならびにその他の非常に明瞭な証言。またその時代における対岸の諸民族についての注意
第十三章 ノルマン人の到来以後のイングランド王の海上支配権についての諸々の証拠が、項目の形で一般的に示される
第十四章 ノルマン人の到来以後、歴代のイングランド王が絶えず周囲の海の支配主であったことは、まず第一に、いわば管轄域ないし領有域としてのこの海域についての監督権ないし総督権から、すなわちイングランドの提督職の独自の権利から立証される
第十五章 ノルマン人の到来以後、海の監督ないし守護のために課せられたり、支払われたり、要求されたりするならわしであった貢納金ないし税によって、イングランドの海域の支配権が裏付けられる
第十六章 提督たちを任命するために発せられるならわしであった王勅ないし令状の文面とその変遷から、イングランドとアイルランドの海域の支配権について見てとること
第十七章 イングランドの提督の最高総督権についての勅書の定式の中では、十分にはっきりした文言により、その守護のために支配主としてのイングランド王が提督を任命した海域の南側の境界が、絶えずアキテーヌ、ノルマンディー、ピカルディの海岸とされていること
第十八章 フランス王国の提督たち、すなわち対岸において任命された提督たちについて。その起源・本性・変遷浮沈について。英仏間を通っている海そのものが、彼らの任命者〔フランス王〕の領有域ないし管轄域としてこの総督区のうちに含まれているということはいささかもなく、イングランド王の海上支配権に反するようなことも何もそのうちには含まれていないこと
第十九章 歴代イングランド王によって不断に保持されてきた、フランス海岸の目の前にある島々の支配権に関しては、これらの島々が位置している海についての、父祖代々から受け継がれた占有権が認められること
第二十章 渡航あるいは通過航行の許可が外国人に対して認められるならわしであったり、彼らによって請願されたりしたということに基づいて、歴代イングランド王にとっての海の支配権と占有権が主張される
第二十一章 歴代イングランド王が海上において、外国人に常々認めていた漁の許可も、また自国の領土内におけるのと同様に行なっていた漁民たちに対する守護も、これらの王たちの海上支配権の古くかつ明らかなしるしであるということ
第二十二章 お互い同士は敵対しているがイングランド王に対しては友好的な諸外国に対して、イングランドの歴代国王が海上に定めるならわしであった法律と境界は、歴代イングランド王の支配権を証拠立てている。また、海上における王の私室ないし小部屋について。さらに、ノルマンディー海岸に面する島々の周辺の海上での恒久的休戦の特別な権利について
第二十三章 他のことを論じつつ折にふれて、ただし非常に明瞭な文言によって、また最高の熟慮をもって、王自身と国会の上下両院が、海の支配権を古来のものとして歴代イングランド王に、至極確実でまちがいのない権利として帰しているような、そのような記述を含んだ王室保管記録中の公文書
第二十四章 イングランド王の海上支配権を主張したり認めたりしている、父祖の法の注釈書や非常によく受け入れられた諸慣行について
第二十五章 いま論じている海上支配権についての、昔のいくつかのもっと質の低い証拠
第二十六章 歴代イングランド王の海上支配権は、それにとりわけ利害関係を持つ外国人たちによって、古来の風習に基づいて慣例化した「帆を下ろすこと」をもって承認されていること。またこのことについての、歴代フランス王による二つの布告について
第二十七章 昔公に提出された訴状、すなわち近隣諸国の国民がイングランド人といっしょにフランス艦隊の司令長官レイネル・グランバルを相手どって起こした訴訟の起訴状の中で、非常に多くの近隣諸国の国民がイングランド王の海上支配権を認めていること。さらに、グランバル自身の弁明のうちに含まれたこのような承認について
第二十八章 前章で言及した訴状の原文と信憑性
第二十九章 エドワード二世のもとに遣わされたフランドル人の使節の場合における、歴代イングランド王の海上支配権の承認
第三十章 アイリッシュ海、すなわち西方の海域における大英国王の支配権について、別個に論じられる
第三十一章 スコットランドの海域、とりわけスコットランドの東方および北方の海域における大英国王の支配権について
第三十二章 広大にしてかつ開かれた北方の海域に関する、大英国王に資格のある権利について。ならびに結論
第二分冊解説
セルデン『海洋閉鎖論』索引(人名・事項)
訳者からのメッセージ
セルデン『海洋閉鎖論2』
第二巻
第一章 この巻で述べられるべきことの順序。四つの部分に分割されたブリティッシュ洋
第二章 ブリテン島民たちは、まだローマの権力の下に降っていなかったとき、ブリティッシュ洋、わけても南方と東方のブリティッシュ洋を、ブリテン島とともに、支配者として占有したということ
第三章 ブリテン島民は、ローマ人に屈服する以前は北方の海の支配者であったこと。また、海と陸地とはただ一つのブリタニアの統一体をなしていたこと
第四章 ブリティッシュ洋〔に対するローマ帝国〕の支配権は、クラウディウスとドミティアヌスの両帝の時代に、グレートブリテン島そのものが〔ローマ帝国に〕征服された結果生じた
第五章 ドミティアヌス帝からコンスタンティウス・クロルス帝もしくはディオクレティアヌス帝までの時代の、ブリテン島の付属物としてのブリタニアの海域に関するローマ人の支配権について
第六章 コンスタンティヌス大帝の時代から、ローマ人がブリテン島に別れを告げたときに至るまでの、ブリタニアに関する命令権に随伴する南方と東方の海の支配権について。この支配権はその全体が、全英サクソン海岸伯の総督権の下にあったこと。【また、ローマ人の下でのブリタニア艦隊について。】
第七章 かの全英海岸伯がそこの伯爵だと言われたサクソン海岸とは、海のこちらのブリタニアの海岸のことだと主張する二、三の学者の意見が考察され、はっきりと論駁される
第八章 クラウディアヌス〔の詩〕から、またアントニヌス・ピウス帝の鋳造貨幣のうちの二、三のものから得られる、ブリテン島とブリティッシュ洋に対する同帝の不可分な命令権と支配権についての証跡
第九章 住民たちがローマ人の命令権から脱した後のブリタニアの海域の支配権について
第十章 ブリタニア南部の命令権を占有していたアングロ‐サクソン人とデーン人の海上支配権が、サクソン王国の起源と、彼らの海軍および諸々の海戦の勝利から見てとられる
第十一章 ブリタニアに君臨していたアングロサクソン人とデーン人の海上命令権は、諸々の貢納金と、信任された臣下たちの海事にかかわる義務とから、同じように見てとれること。また、海の守護のために提供されるならわしであった、デーンゲルドと言われる貢納金ないし俸給について
第十二章 イングランド王エドガーとクヌートおよびそれ以前の代の王たちの海上支配権についての、この両王の証言ならびにその他の非常に明瞭な証言。またその時代における対岸の諸民族についての注意
第十三章 ノルマン人の到来以後のイングランド王の海上支配権についての諸々の証拠が、項目の形で一般的に示される
第十四章 ノルマン人の到来以後、歴代のイングランド王が絶えず周囲の海の支配主であったことは、まず第一に、いわば管轄域ないし領有域としてのこの海域についての監督権ないし総督権から、すなわちイングランドの提督職の独自の権利から立証される
第十五章 ノルマン人の到来以後、海の監督ないし守護のために課せられたり、支払われたり、要求されたりするならわしであった貢納金ないし税によって、イングランドの海域の支配権が裏付けられる
第十六章 提督たちを任命するために発せられるならわしであった王勅ないし令状の文面とその変遷から、イングランドとアイルランドの海域の支配権について見てとること
第十七章 イングランドの提督の最高総督権についての勅書の定式の中では、十分にはっきりした文言により、その守護のために支配主としてのイングランド王が提督を任命した海域の南側の境界が、絶えずアキテーヌ、ノルマンディー、ピカルディの海岸とされていること
第十八章 フランス王国の提督たち、すなわち対岸において任命された提督たちについて。その起源・本性・変遷浮沈について。英仏間を通っている海そのものが、彼らの任命者〔フランス王〕の領有域ないし管轄域としてこの総督区のうちに含まれているということはいささかもなく、イングランド王の海上支配権に反するようなことも何もそのうちには含まれていないこと
第十九章 歴代イングランド王によって不断に保持されてきた、フランス海岸の目の前にある島々の支配権に関しては、これらの島々が位置している海についての、父祖代々から受け継がれた占有権が認められること
第二十章 渡航あるいは通過航行の許可が外国人に対して認められるならわしであったり、彼らによって請願されたりしたということに基づいて、歴代イングランド王にとっての海の支配権と占有権が主張される
第二十一章 歴代イングランド王が海上において、外国人に常々認めていた漁の許可も、また自国の領土内におけるのと同様に行なっていた漁民たちに対する守護も、これらの王たちの海上支配権の古くかつ明らかなしるしであるということ
第二十二章 お互い同士は敵対しているがイングランド王に対しては友好的な諸外国に対して、イングランドの歴代国王が海上に定めるならわしであった法律と境界は、歴代イングランド王の支配権を証拠立てている。また、海上における王の私室ないし小部屋について。さらに、ノルマンディー海岸に面する島々の周辺の海上での恒久的休戦の特別な権利について
第二十三章 他のことを論じつつ折にふれて、ただし非常に明瞭な文言によって、また最高の熟慮をもって、王自身と国会の上下両院が、海の支配権を古来のものとして歴代イングランド王に、至極確実でまちがいのない権利として帰しているような、そのような記述を含んだ王室保管記録中の公文書
第二十四章 イングランド王の海上支配権を主張したり認めたりしている、父祖の法の注釈書や非常によく受け入れられた諸慣行について
第二十五章 いま論じている海上支配権についての、昔のいくつかのもっと質の低い証拠
第二十六章 歴代イングランド王の海上支配権は、それにとりわけ利害関係を持つ外国人たちによって、古来の風習に基づいて慣例化した「帆を下ろすこと」をもって承認されていること。またこのことについての、歴代フランス王による二つの布告について
第二十七章 昔公に提出された訴状、すなわち近隣諸国の国民がイングランド人といっしょにフランス艦隊の司令長官レイネル・グランバルを相手どって起こした訴訟の起訴状の中で、非常に多くの近隣諸国の国民がイングランド王の海上支配権を認めていること。さらに、グランバル自身の弁明のうちに含まれたこのような承認について
第二十八章 前章で言及した訴状の原文と信憑性
第二十九章 エドワード二世のもとに遣わされたフランドル人の使節の場合における、歴代イングランド王の海上支配権の承認
第三十章 アイリッシュ海、すなわち西方の海域における大英国王の支配権について、別個に論じられる
第三十一章 スコットランドの海域、とりわけスコットランドの東方および北方の海域における大英国王の支配権について
第三十二章 広大にしてかつ開かれた北方の海域に関する、大英国王に資格のある権利について。ならびに結論
第二分冊解説
セルデン『海洋閉鎖論』索引(人名・事項)