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幕末維新の時代、伝統的秩序の突然の崩壊に戸惑いつつ、近代化への強い圧力を正面から受け止め、それぞれの地域の新しい秩序構築に努めた名望家 達。近代日本を支える知識・情報・技芸の育成のため悪戦苦闘した人々の企てを、明治期地方史の焦点、松本を舞台に生き生きと描く。近代史、教育 史、メディア史と地方史を有機的に結ぶ意欲作。
『史學雜誌』第124編 第2号、118-119頁、評者:佐藤大悟氏
『日本歴史』2015年8月号、106-108頁、評者:湯川文彦氏
『日本歴史』2015年8月号、106-108頁、評者:湯川文彦氏
塩原 佳典(しおはら よしのり)
1981年 長野県生まれ
2008年 信州大学人文学部人間情報学科卒業
2013年 京都大学大学院教育学研究科博士後期課程修了,博士(教育学)
現 在 日本学術振興会特別研究員(PD)
1981年 長野県生まれ
2008年 信州大学人文学部人間情報学科卒業
2013年 京都大学大学院教育学研究科博士後期課程修了,博士(教育学)
現 在 日本学術振興会特別研究員(PD)
序 章
一 「開化」の時代とそこに生きた人びとを総体として把握する
(1) 「開化」を通じた地域の再編成
(2) 「開化」の担い手はいかなる過程で立ち現れたのか ―論点1
(3) 「開化」はどのような広がりを持っていたのか ―論点2
二 「開化」の時代を生きた主体
(1) 幕末維新期という時期区分
(2) 維新の変革主体をめぐる研究史
(3) 名望家 ―地域秩序の再編者たち―
三 地域の媒介者と学校教育
(1) 名望家の「媒介」する力量
(2) 近代的教育観の問い直し
四 「開化」の「先進」地に生きた三人の名望家 ―対象とする地域・人びと―
(1) 信濃国の中央集権化と松本藩 ―対象地域の特質―
(2) 村役人/分家文化人/町方名主兼商人 ―三人の名望家たち―
五 本書の構成
第一章 近世後期の地域秩序と媒介する役割 ―「由緒」の継承―
一 村役人としての「心構え」とその行使
二 松本藩大町組における栗林家の位置
(1) 大町組の概況
(2) 栗林家における家訓書の更新・継承
三 大町年寄仲間の形成とその変遷
四 由緒の実践 ―村落運営へのかかわり―
(1) 「年寄廻金」の運用
(2) 村を訪れる宗教者への対応
(3) 神事祭礼による由緒の共有化
五 維新変革への見通し
第二章 地域秩序の動揺と「開化」のきざし ―府藩県三治制期の松本藩―
一 「変革を生き延びた主体」に迫る ―新設議事機関における「公論」―
二 議事局の開設と議事局出役の選出 ―地域秩序再編の萌芽―
三 維新期松本藩の社会状況
(1) 悪化する地域情勢
(2) 職分・身分・家格をめぐる秩序体系の流動化
四 議事下局における「公論」の特質
(1) 地域利害の反映
(2) 解体する身分的特権・家格への対応
(3) 「学校」取立の建議と維新変革への期待
五 「保守的改革」に垣間見える〝したたかさ〟 ―筑摩県体制へ―
第三章 「開化」の担い手の生成過程 ―「開化」へと連なる複数の道筋―
一 「開化」への向き合い方を規定したもの
二 筑摩県における「開化」事業とその担い手 ―近世からの連続/非連続―
三 学校教育をめぐる名望家たちの重層性
(1) 栗林球三の就学勧奨
(2) 藤森寿平の「学校」設置建言
(3) 市川量造の新聞・下問会議建言
四 「開化」の主導権をめぐる補完と競争
第四章 相互連関する「開化」の諸事業 ―学校・新聞・博覧会―
一 「開化」の広がりから近代学校をとらえ直す
二 筑摩県における学校・新聞・博覧会の展開
三 学校・新聞・博覧会の担い手と活動実態
四 諸事業を兼担する学事担当者たち
(1) 新聞事業と学事担当者
(2) 博覧会事業と学事担当者
(3) 近代学校と新聞・博覧会との綻び
五 複合的な「開化」と近代学校の空間的析出
第五章 地方博覧会に見る「開化」の特質 ―古器物・芝居・市場―
一 「開化」の象徴としての博覧会
二 筑摩県下博覧会と博覧会世話掛
三 「古器物」を展示するということ
四 地域社会と博覧会
(1) 民衆娯楽と博覧会
(2) 市場と博覧会
五 「開化」への誘導と村落運営
第六章 明治一〇年代における近代学校の模索 ―名望家層と民権派教員―
一 「開化」の浸透と学校教育の構想
二 「学制」期の担い手たち
(1) 藤森寿平と成新学校変則科における教育実践
(2) 栗林球三と「積雪盈天之地」における学事運営
三 「教育令」期の担い手たち
(1) 藤森寿平と奨匡社の政治運動 ―「社」と「塾」のあいだ―
(2) 栗林球三と職業学校の設立運動 ―北安曇郡の学校を求めて―
四 名望家たちが目指した「開化」と近代教育政策との懸隔
第七章 民権思想の媒介者たち―松沢求策と地域社会―
一 民権運動における地域秩序再編の可能性
二 奨匡社が胚胎していたふたつの志向性
(1) 市川量造の「松本中心主義」
(2) 民権家・松沢求策の政治志向 ―「天保人民」との対決―
三 松沢求策による民権思想の受容
(1) 成新学校変則科への入学と「英俊」の「擢用」
(2) 松沢求策の地域的基盤 ―猶興義塾の挫折―
四 民権家たちによる義民伝承の語り直し
(1) 民権運動の盛り上がりと義民顕彰
(2) 「中萱村加助由来」
(3) 「中萱嘉助略伝」
(4) 「民権鑑加助の面影」
(5) 『嘉助全伝 真篶苅信濃美談』
五 松沢求策に見る「媒介」の変質 ―政治運動への特化と地域社会からの乖離―
終章 名望家たちが目指した地域秩序とその行方
一 「開化」の展開と名望家たちの媒介する営み ―議論の再整理―
二 地域秩序の再編過程と学校教育の歴史的輪郭
(1) 「開化」の担い手の重層性と名望を賭けた競争的関係
(2) 媒介する役割の変質 ―独占性の解体と領域横断性の分節化―
(3) 学校教育の可能性をめぐる名望家たちの主体性
巻末資料 ―「筑摩県管轄物価表」に見る筑摩県の生活状況―
物価表
あとがき
索引
一 「開化」の時代とそこに生きた人びとを総体として把握する
(1) 「開化」を通じた地域の再編成
(2) 「開化」の担い手はいかなる過程で立ち現れたのか ―論点1
(3) 「開化」はどのような広がりを持っていたのか ―論点2
二 「開化」の時代を生きた主体
(1) 幕末維新期という時期区分
(2) 維新の変革主体をめぐる研究史
(3) 名望家 ―地域秩序の再編者たち―
三 地域の媒介者と学校教育
(1) 名望家の「媒介」する力量
(2) 近代的教育観の問い直し
四 「開化」の「先進」地に生きた三人の名望家 ―対象とする地域・人びと―
(1) 信濃国の中央集権化と松本藩 ―対象地域の特質―
(2) 村役人/分家文化人/町方名主兼商人 ―三人の名望家たち―
五 本書の構成
第一章 近世後期の地域秩序と媒介する役割 ―「由緒」の継承―
一 村役人としての「心構え」とその行使
二 松本藩大町組における栗林家の位置
(1) 大町組の概況
(2) 栗林家における家訓書の更新・継承
三 大町年寄仲間の形成とその変遷
四 由緒の実践 ―村落運営へのかかわり―
(1) 「年寄廻金」の運用
(2) 村を訪れる宗教者への対応
(3) 神事祭礼による由緒の共有化
五 維新変革への見通し
第二章 地域秩序の動揺と「開化」のきざし ―府藩県三治制期の松本藩―
一 「変革を生き延びた主体」に迫る ―新設議事機関における「公論」―
二 議事局の開設と議事局出役の選出 ―地域秩序再編の萌芽―
三 維新期松本藩の社会状況
(1) 悪化する地域情勢
(2) 職分・身分・家格をめぐる秩序体系の流動化
四 議事下局における「公論」の特質
(1) 地域利害の反映
(2) 解体する身分的特権・家格への対応
(3) 「学校」取立の建議と維新変革への期待
五 「保守的改革」に垣間見える〝したたかさ〟 ―筑摩県体制へ―
第三章 「開化」の担い手の生成過程 ―「開化」へと連なる複数の道筋―
一 「開化」への向き合い方を規定したもの
二 筑摩県における「開化」事業とその担い手 ―近世からの連続/非連続―
三 学校教育をめぐる名望家たちの重層性
(1) 栗林球三の就学勧奨
(2) 藤森寿平の「学校」設置建言
(3) 市川量造の新聞・下問会議建言
四 「開化」の主導権をめぐる補完と競争
第四章 相互連関する「開化」の諸事業 ―学校・新聞・博覧会―
一 「開化」の広がりから近代学校をとらえ直す
二 筑摩県における学校・新聞・博覧会の展開
三 学校・新聞・博覧会の担い手と活動実態
四 諸事業を兼担する学事担当者たち
(1) 新聞事業と学事担当者
(2) 博覧会事業と学事担当者
(3) 近代学校と新聞・博覧会との綻び
五 複合的な「開化」と近代学校の空間的析出
第五章 地方博覧会に見る「開化」の特質 ―古器物・芝居・市場―
一 「開化」の象徴としての博覧会
二 筑摩県下博覧会と博覧会世話掛
三 「古器物」を展示するということ
四 地域社会と博覧会
(1) 民衆娯楽と博覧会
(2) 市場と博覧会
五 「開化」への誘導と村落運営
第六章 明治一〇年代における近代学校の模索 ―名望家層と民権派教員―
一 「開化」の浸透と学校教育の構想
二 「学制」期の担い手たち
(1) 藤森寿平と成新学校変則科における教育実践
(2) 栗林球三と「積雪盈天之地」における学事運営
三 「教育令」期の担い手たち
(1) 藤森寿平と奨匡社の政治運動 ―「社」と「塾」のあいだ―
(2) 栗林球三と職業学校の設立運動 ―北安曇郡の学校を求めて―
四 名望家たちが目指した「開化」と近代教育政策との懸隔
第七章 民権思想の媒介者たち―松沢求策と地域社会―
一 民権運動における地域秩序再編の可能性
二 奨匡社が胚胎していたふたつの志向性
(1) 市川量造の「松本中心主義」
(2) 民権家・松沢求策の政治志向 ―「天保人民」との対決―
三 松沢求策による民権思想の受容
(1) 成新学校変則科への入学と「英俊」の「擢用」
(2) 松沢求策の地域的基盤 ―猶興義塾の挫折―
四 民権家たちによる義民伝承の語り直し
(1) 民権運動の盛り上がりと義民顕彰
(2) 「中萱村加助由来」
(3) 「中萱嘉助略伝」
(4) 「民権鑑加助の面影」
(5) 『嘉助全伝 真篶苅信濃美談』
五 松沢求策に見る「媒介」の変質 ―政治運動への特化と地域社会からの乖離―
終章 名望家たちが目指した地域秩序とその行方
一 「開化」の展開と名望家たちの媒介する営み ―議論の再整理―
二 地域秩序の再編過程と学校教育の歴史的輪郭
(1) 「開化」の担い手の重層性と名望を賭けた競争的関係
(2) 媒介する役割の変質 ―独占性の解体と領域横断性の分節化―
(3) 学校教育の可能性をめぐる名望家たちの主体性
巻末資料 ―「筑摩県管轄物価表」に見る筑摩県の生活状況―
物価表
あとがき
索引