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文明と暴力。その両面をあわせもつ監獄は、日本の植民地支配下にあった台湾と朝鮮にも近代的刑罰の導入を強いた。植民地統治のために監獄という装置はどのように利用されたのか。受刑者が示す抵抗と従順、看守や教誨師の実態と制度の変遷。法制、言説、実践から監獄と植民地の実態に迫る。東アジア近代法制史の新たな一頁。
林 政佑 (Lin Cheng-Yu)
京都大学法学研究科博士課程修了、京都大学博士(法学)。
現職:台湾輔仁大学副教授。
専攻:東アジア法制史、法思想史、法社会学、刑事政策。
主な業績
“Death Penalty in Modern Japan (1868—1945): Evolving Execution Practices and Their Societal Impact,” OMEGA - Journal of Death and Dying. 2025.
「植民地帝国大学における刑事法学者の植民地認識について」『日台政策研究所会報』2024年。
「殖民地帝国大学公法学者的殖民地認識」『輔仁法学』2023年。
「植民地朝鮮の監獄作業に関する考察」『法制史研究』2023年。
京都大学法学研究科博士課程修了、京都大学博士(法学)。
現職:台湾輔仁大学副教授。
専攻:東アジア法制史、法思想史、法社会学、刑事政策。
主な業績
“Death Penalty in Modern Japan (1868—1945): Evolving Execution Practices and Their Societal Impact,” OMEGA - Journal of Death and Dying. 2025.
「植民地帝国大学における刑事法学者の植民地認識について」『日台政策研究所会報』2024年。
「殖民地帝国大学公法学者的殖民地認識」『輔仁法学』2023年。
「植民地朝鮮の監獄作業に関する考察」『法制史研究』2023年。
序 章
一 問題の所在
二 植民地監獄に対する考え方
(一)「文明的」刑罰
(二)植民地主義の表れ
三 先行研究
(一)植民地の監獄史に関する研究
(二)理論の位置付け
四 研究方法
(一)比較法社会史
(二)帝国史
五 史料及び論文の構成
(一)史料
(二)本書の構成
第一章 植民地台湾と朝鮮の監獄教誨に関する法制及び運用実態
一 問題意識
(一)問題の提起
(二)先行研究
二 監獄教誨に関する法制の形成と変遷
(一)教誨法制の形成
(二)行刑累進処遇制度
三 教誨師の構成と動き
(一)浄土真宗の独占
(二)植民地の教誨師構成
(三)教誨知識の形成と教誨のやり方
(四)信教の自由との衝突
四 教誨の運用実態
(一)植民地の教誨の実態
(二)オリエンタリズム的なイメージ
(三)受刑者の受け止め方
(四)皇民化の教誨
まとめ
第二章 植民地台湾における監獄作業に関する一考察
一 問題意識
二 監獄作業に関する法制度の変遷
(一)日本統治以前の徒刑
(二)明治期日本内地の監獄作業法制
(三)1895 年台湾監獄令
(四)1899年台湾監獄則
(五)1908年 台湾監獄令
三 初期の運用実態(1895-1903年)
(一)経理作業を中心に
(二)労働時間と工銭
四 中期の運用実態(1903-1937)
(一)官司業の台頭
(二)業種の多様化
(三)外役条件の緩和
(四)作業時間の延長
(五)作業収入の自給率及び作業賞与金の差
五 戦時期の運用実態(1937-1945年)
(一)軍需作業との繋がり
(二)作業時間の延長
(三)作業に対する方針の転換
まとめ
第三章 植民地朝鮮の監獄作業に関する考察
一 問題提起
二 旧韓末の監獄作業
三 1909年から1920年までの監獄作業
(一)監獄作業法制
(二)初期の低就業率
(三)監獄作業の内容
四 1921年から1931年までの監獄作業
(一)監獄作業の内容
(二)自給率
(三)作業技手の設置の遅延
(四)作業時間延長の困難
(五)民業への圧迫
五 満洲事変以降の監獄作業
(一)監獄作業の統制化
(二)作業の内容
(三)作業の困難さ
(四)作業工銭の低さ
まとめ
第四章 日本帝国の看守に関する考察
一 問題意識
二 近代日本における監獄看守の専門職化
三 植民地台湾の看守について
(一)看守職務規定
(二)看守の採用と訓練
(三)看守の待遇
(四)看守の民族別構成
四 植民地朝鮮における監獄看守に関する制度
(一)旧韓末から併合初期の監獄看守制度の整備
(二)看守の採用と訓練
(三)看守の待遇
(四)看守の民族別構成
(五)看守の負担率
五 看守と受刑者の関係
(一)同民族別の場合
(二)戒具の使用
(三)看守の暴力
(四)差別待遇
六 戦時期の変化
(一)看守による啓発への期待
(二)看守の人員不足
まとめ
第五章 植民地朝鮮及び台湾における釈放者保護について
一 問題意識
二 別房留置時期(1872-1907年)
(一)別房留置制度
(二)民間による釈放者保護の動き
(三)植民地台湾における釈放者保護事業の成立
(四)警察の監視
三 官民協働の時期(1908-1939年)
(一)国からの支援金
(二)植民地朝鮮の釈放者保護の始まり
(三)植民地台湾における釈放者保護事業の統制化
(四)「司法保護」という言葉の創出
(五)思想犯保護観察
(六)保護の実態
(七)警察の監視
四 釈放者保護事業の国家統制化(1939-1945年)
(一)司法保護事業の法制化
(二)植民地の司法保護事業法の導入
(三)司法保護委員
(四)戦争と司法保護
(五)予防拘禁制度の創出
まとめ
結 論
あとがき
参考文献
索引
一 問題の所在
二 植民地監獄に対する考え方
(一)「文明的」刑罰
(二)植民地主義の表れ
三 先行研究
(一)植民地の監獄史に関する研究
(二)理論の位置付け
四 研究方法
(一)比較法社会史
(二)帝国史
五 史料及び論文の構成
(一)史料
(二)本書の構成
第一章 植民地台湾と朝鮮の監獄教誨に関する法制及び運用実態
一 問題意識
(一)問題の提起
(二)先行研究
二 監獄教誨に関する法制の形成と変遷
(一)教誨法制の形成
(二)行刑累進処遇制度
三 教誨師の構成と動き
(一)浄土真宗の独占
(二)植民地の教誨師構成
(三)教誨知識の形成と教誨のやり方
(四)信教の自由との衝突
四 教誨の運用実態
(一)植民地の教誨の実態
(二)オリエンタリズム的なイメージ
(三)受刑者の受け止め方
(四)皇民化の教誨
まとめ
第二章 植民地台湾における監獄作業に関する一考察
一 問題意識
二 監獄作業に関する法制度の変遷
(一)日本統治以前の徒刑
(二)明治期日本内地の監獄作業法制
(三)1895 年台湾監獄令
(四)1899年台湾監獄則
(五)1908年 台湾監獄令
三 初期の運用実態(1895-1903年)
(一)経理作業を中心に
(二)労働時間と工銭
四 中期の運用実態(1903-1937)
(一)官司業の台頭
(二)業種の多様化
(三)外役条件の緩和
(四)作業時間の延長
(五)作業収入の自給率及び作業賞与金の差
五 戦時期の運用実態(1937-1945年)
(一)軍需作業との繋がり
(二)作業時間の延長
(三)作業に対する方針の転換
まとめ
第三章 植民地朝鮮の監獄作業に関する考察
一 問題提起
二 旧韓末の監獄作業
三 1909年から1920年までの監獄作業
(一)監獄作業法制
(二)初期の低就業率
(三)監獄作業の内容
四 1921年から1931年までの監獄作業
(一)監獄作業の内容
(二)自給率
(三)作業技手の設置の遅延
(四)作業時間延長の困難
(五)民業への圧迫
五 満洲事変以降の監獄作業
(一)監獄作業の統制化
(二)作業の内容
(三)作業の困難さ
(四)作業工銭の低さ
まとめ
第四章 日本帝国の看守に関する考察
一 問題意識
二 近代日本における監獄看守の専門職化
三 植民地台湾の看守について
(一)看守職務規定
(二)看守の採用と訓練
(三)看守の待遇
(四)看守の民族別構成
四 植民地朝鮮における監獄看守に関する制度
(一)旧韓末から併合初期の監獄看守制度の整備
(二)看守の採用と訓練
(三)看守の待遇
(四)看守の民族別構成
(五)看守の負担率
五 看守と受刑者の関係
(一)同民族別の場合
(二)戒具の使用
(三)看守の暴力
(四)差別待遇
六 戦時期の変化
(一)看守による啓発への期待
(二)看守の人員不足
まとめ
第五章 植民地朝鮮及び台湾における釈放者保護について
一 問題意識
二 別房留置時期(1872-1907年)
(一)別房留置制度
(二)民間による釈放者保護の動き
(三)植民地台湾における釈放者保護事業の成立
(四)警察の監視
三 官民協働の時期(1908-1939年)
(一)国からの支援金
(二)植民地朝鮮の釈放者保護の始まり
(三)植民地台湾における釈放者保護事業の統制化
(四)「司法保護」という言葉の創出
(五)思想犯保護観察
(六)保護の実態
(七)警察の監視
四 釈放者保護事業の国家統制化(1939-1945年)
(一)司法保護事業の法制化
(二)植民地の司法保護事業法の導入
(三)司法保護委員
(四)戦争と司法保護
(五)予防拘禁制度の創出
まとめ
結 論
あとがき
参考文献
索引