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1920年代から30年代、教育・哲学・芸術の専門家たちが連携し合う稀有な時代、世界を襲う大恐慌に生活物資が切り詰められるなか、教育哲学者デューイは、心を豊かにする芸術の必要を説く。
『教育学研究』第90巻第1号(2023年3月)、179-181頁、評者:中村和世氏
『日本の教育史学:教育史学会紀要』第66集、160-162頁、評者:生澤繁樹氏
『日本の教育史学:教育史学会紀要』第66集、160-162頁、評者:生澤繁樹氏
西郷 南海子(さいごう みなこ)
1987年生まれ。京都大学大学院教育学研究科博士後期課程修了。博士(教育学)。日本学術振興会特別研究員(DC1)を経て,2019年より大阪国際大学短期大学部非常勤講師。専門分野は教育哲学,美術教育。
主な著作
「A. C. バーンズとデューイの協働――バーンズ財団における⺠主主義のヴィジョンについて」(『日本デューイ学会紀要』第59号,2018年,日本デューイ学会研究奨励賞受賞),「ジョン・デューイの『子ども中心主義』批判――子どもの表現活動をめぐるM. ノームバーグとの論争に着目して」(『京都大学教育学研究科紀要』第65号,2019年),「タテカンの空間論――大学の縁に立つということ」(『世界』岩波書店,2019年),「世界大恐慌と連邦美術計画――1930年代アメリカにおける『万人のための芸術』」(『同志社アメリカ研究』第56号,2020年),「コロナ禍と『子ども文化』――パンデミックを生き抜く物語」(総合人間学会『コロナ禍を生きぬく,問いあい・思いやる社会を創造できるか』本の泉社,2021年)など。
1987年生まれ。京都大学大学院教育学研究科博士後期課程修了。博士(教育学)。日本学術振興会特別研究員(DC1)を経て,2019年より大阪国際大学短期大学部非常勤講師。専門分野は教育哲学,美術教育。
主な著作
「A. C. バーンズとデューイの協働――バーンズ財団における⺠主主義のヴィジョンについて」(『日本デューイ学会紀要』第59号,2018年,日本デューイ学会研究奨励賞受賞),「ジョン・デューイの『子ども中心主義』批判――子どもの表現活動をめぐるM. ノームバーグとの論争に着目して」(『京都大学教育学研究科紀要』第65号,2019年),「タテカンの空間論――大学の縁に立つということ」(『世界』岩波書店,2019年),「世界大恐慌と連邦美術計画――1930年代アメリカにおける『万人のための芸術』」(『同志社アメリカ研究』第56号,2020年),「コロナ禍と『子ども文化』――パンデミックを生き抜く物語」(総合人間学会『コロナ禍を生きぬく,問いあい・思いやる社会を創造できるか』本の泉社,2021年)など。
口 絵
序 章 ジョン・デューイがいた時代
1 はじめに
2 「アメリカ美術」の台頭
3 本書の課題と方法
4 本書の構成
コラム0 1920年代は「サッコ・ヴァンゼッティ事件」から始まった
第Ⅰ部 デューイの教育哲学における生活と芸術
第1章 デューイにとっての生命・教育・コミュニケーション
1 デューイが生きた社会と哲学
1-1.アメリカ史とデューイ
1-2.「自己更新の過程としての生命」という教育哲学
2 生命と教育の結びつき
2-1.Life=ライフ=生命?
2-2.進化に目的がないのであれば
3 コミュニケーションの〈中に〉ある社会
3-1.「トランスミッションに・よ・っ・て・」
3-2.文明社会におけるコミュニケーションのあり方
4 コミュニケーションの広がりから「グレート・コミュニティ」へ
コラム1 1919年、デューイ来日
第2章 民主主義が「生き方」であるということ
1 民主主義の形骸化に向き合う
1-1.「自分が投票したところで何も変わらない」
1-2.ソ連とドイツ、二つの全体主義の間で
2 民主主義の何が創造的なのか
2-1.創造的な個人を育てる
2-2.経験の質を豊かにすることへの「信仰」
3 生き方としての民主主義がアートであるということ
コラム2 ハル・ハウスに「窯」があった
第3章 バーンズ財団における多文化のハーモニー
1 「普通の人びと」の美的経験の場として
1-1.デューイ芸術論の特徴
1-2.バーンズ財団の設立
2 財団の展示内容と方法
2-1.「壁面絵」を通じた作品との対話
2-2.アンサンブルに身をゆだねる
3 ハーレム・ルネサンスと人びとのハーモニー
3-1.黒人文化復興運動の牽引者としてのバーンズ
3-2.デューイへの影響
4 “Learning to see”を実現する
コラム3 ホレース・ピピンを知らないわたしたち
第4章 進歩主義教育における芸術の位置づけ
1 進歩主義教育とは
1-1.進歩主義教育の流れ
1-2.デューイの「子ども中心主義」批判
1-3.進歩主義教育の諸相と進歩主義協会
2 誌上シンポジウムにおけるノームバーグとデューイ
2-1.『ニュー・リパブリック』を舞台として
2-2.デューイの応答
2-3.深刻化する大恐慌と教育への圧迫
3 表現活動を通じた社会的連帯
3-1.子ども個人に対するノームバーグの洞察
3-2.デューイの反論
3-3.デューイによる芸術教育擁護
4 経験の分断を乗り越える芸術教育へ
コラム4 マーガレット・ノームバーグと北川民次
第Ⅱ部 「芸術の民主化」と「芸術による民主化」
第5章 生活を描くリアリズムの教育哲学的意義
1 ジョン・スローンと北川民次
1-1.「芸術」の転換を目指して
1-2.北川民次を取り上げる意味
2 北川民次のニューヨーク時代
2-1.フランス留学派との対比において
2-2.「ジ・エイト」の美術史的意義
3 リアリズムの諸相
3-1.北川民次のスローン思想の受容
3-2.スローンの“Realism”批判
3-3.北川の児童画における「レアリズム」
4 人格形成過程としての美術教育
コラム5 失われた巨大壁画〜ロックフェラーセンターという場所で
第6章 デューイたちのメキシコ美術教育へのまなざし
1 世界大恐慌下の芸術教育の意義
1-1.必要なのはパンか、絵の具か
1-2.初めての国際児童画展の開催(1934年)
2 革命後メキシコの新教育と美術
2-1.国民統合の手段としての美術
2-2.デューイのメキシコ訪問
2-3.メキシコ文部省の方針転換
3 生活の中で生活を描く
3-1.タスコ野外美術学校における実践
3-2.ヴィジョンと創造的衝動
4 人種や国籍を超えた美術教育の構想
4-1.アメリカに戻ろうとしていた北川
4-2.リトル・レッド・スクール・ハウスとの接点
5 アメリカとメキシコ、交差するまなざし
コラム6 「描こうとする精神」
第7章 世界大恐慌と連邦美術計画――芸術を通じたコミュニティの再創造
1 大恐慌が生み出した連邦美術計画
1-1.ニューディール政策の中の美術
1-2.連邦美術計画はどのように論じられてきたか
2 連邦美術計画の立案過程と内容
2-1.プロジェクト始動まで
2-2.生きる術としてのアート
2-3.連邦美術計画の諸部門
(1)ファイン・アート部門
(壁画、彫刻、イーゼル絵画、グラフィックアート、写真)
(2)プラクティカル・アート部門
(インデックス・オブ・アメリカン・デザイン、ポスター、工芸)
(3)美術教育(コミュニティ・アート・センター)
3 ホルジャー・ケーヒルの思想
3-1.アイスランド移民としてアートに出会う
3-2.デューイの芸術論を引き継いで
4 〈参加〉による公共性の創出
4-1.市民としてのアーティスト、アーティストとしての市民
4-2.現代によみがえる連邦美術計画
コラム7 連邦美術計画から強制収容所へ〜日系人女性ミネ・オークボ
終 章 わたしたちにとっての「生活としての芸術」
あとがき
引用文献一覧
図版一覧
索引(人名/事項)
序 章 ジョン・デューイがいた時代
1 はじめに
2 「アメリカ美術」の台頭
3 本書の課題と方法
4 本書の構成
コラム0 1920年代は「サッコ・ヴァンゼッティ事件」から始まった
第Ⅰ部 デューイの教育哲学における生活と芸術
第1章 デューイにとっての生命・教育・コミュニケーション
1 デューイが生きた社会と哲学
1-1.アメリカ史とデューイ
1-2.「自己更新の過程としての生命」という教育哲学
2 生命と教育の結びつき
2-1.Life=ライフ=生命?
2-2.進化に目的がないのであれば
3 コミュニケーションの〈中に〉ある社会
3-1.「トランスミッションに・よ・っ・て・」
3-2.文明社会におけるコミュニケーションのあり方
4 コミュニケーションの広がりから「グレート・コミュニティ」へ
コラム1 1919年、デューイ来日
第2章 民主主義が「生き方」であるということ
1 民主主義の形骸化に向き合う
1-1.「自分が投票したところで何も変わらない」
1-2.ソ連とドイツ、二つの全体主義の間で
2 民主主義の何が創造的なのか
2-1.創造的な個人を育てる
2-2.経験の質を豊かにすることへの「信仰」
3 生き方としての民主主義がアートであるということ
コラム2 ハル・ハウスに「窯」があった
第3章 バーンズ財団における多文化のハーモニー
1 「普通の人びと」の美的経験の場として
1-1.デューイ芸術論の特徴
1-2.バーンズ財団の設立
2 財団の展示内容と方法
2-1.「壁面絵」を通じた作品との対話
2-2.アンサンブルに身をゆだねる
3 ハーレム・ルネサンスと人びとのハーモニー
3-1.黒人文化復興運動の牽引者としてのバーンズ
3-2.デューイへの影響
4 “Learning to see”を実現する
コラム3 ホレース・ピピンを知らないわたしたち
第4章 進歩主義教育における芸術の位置づけ
1 進歩主義教育とは
1-1.進歩主義教育の流れ
1-2.デューイの「子ども中心主義」批判
1-3.進歩主義教育の諸相と進歩主義協会
2 誌上シンポジウムにおけるノームバーグとデューイ
2-1.『ニュー・リパブリック』を舞台として
2-2.デューイの応答
2-3.深刻化する大恐慌と教育への圧迫
3 表現活動を通じた社会的連帯
3-1.子ども個人に対するノームバーグの洞察
3-2.デューイの反論
3-3.デューイによる芸術教育擁護
4 経験の分断を乗り越える芸術教育へ
コラム4 マーガレット・ノームバーグと北川民次
第Ⅱ部 「芸術の民主化」と「芸術による民主化」
第5章 生活を描くリアリズムの教育哲学的意義
1 ジョン・スローンと北川民次
1-1.「芸術」の転換を目指して
1-2.北川民次を取り上げる意味
2 北川民次のニューヨーク時代
2-1.フランス留学派との対比において
2-2.「ジ・エイト」の美術史的意義
3 リアリズムの諸相
3-1.北川民次のスローン思想の受容
3-2.スローンの“Realism”批判
3-3.北川の児童画における「レアリズム」
4 人格形成過程としての美術教育
コラム5 失われた巨大壁画〜ロックフェラーセンターという場所で
第6章 デューイたちのメキシコ美術教育へのまなざし
1 世界大恐慌下の芸術教育の意義
1-1.必要なのはパンか、絵の具か
1-2.初めての国際児童画展の開催(1934年)
2 革命後メキシコの新教育と美術
2-1.国民統合の手段としての美術
2-2.デューイのメキシコ訪問
2-3.メキシコ文部省の方針転換
3 生活の中で生活を描く
3-1.タスコ野外美術学校における実践
3-2.ヴィジョンと創造的衝動
4 人種や国籍を超えた美術教育の構想
4-1.アメリカに戻ろうとしていた北川
4-2.リトル・レッド・スクール・ハウスとの接点
5 アメリカとメキシコ、交差するまなざし
コラム6 「描こうとする精神」
第7章 世界大恐慌と連邦美術計画――芸術を通じたコミュニティの再創造
1 大恐慌が生み出した連邦美術計画
1-1.ニューディール政策の中の美術
1-2.連邦美術計画はどのように論じられてきたか
2 連邦美術計画の立案過程と内容
2-1.プロジェクト始動まで
2-2.生きる術としてのアート
2-3.連邦美術計画の諸部門
(1)ファイン・アート部門
(壁画、彫刻、イーゼル絵画、グラフィックアート、写真)
(2)プラクティカル・アート部門
(インデックス・オブ・アメリカン・デザイン、ポスター、工芸)
(3)美術教育(コミュニティ・アート・センター)
3 ホルジャー・ケーヒルの思想
3-1.アイスランド移民としてアートに出会う
3-2.デューイの芸術論を引き継いで
4 〈参加〉による公共性の創出
4-1.市民としてのアーティスト、アーティストとしての市民
4-2.現代によみがえる連邦美術計画
コラム7 連邦美術計画から強制収容所へ〜日系人女性ミネ・オークボ
終 章 わたしたちにとっての「生活としての芸術」
あとがき
引用文献一覧
図版一覧
索引(人名/事項)