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抽象的思考の手をどこまでもすり抜けていくものを前に、哲学はどのような営みでありうるか。主著『精神現象学』にはない晩年の新たなヘーゲル像。
2020年度日本宗教学会賞
第14回日本ヘーゲル学会研究奨励賞
第14回日本ヘーゲル学会研究奨励賞
『宗教哲学研究』No.37 2020、131-134頁、評者:後藤正英氏
下田和宣(しもだ かずのぶ)
1981年静岡県生まれ。旧姓石川。文学博士(京都大学、2018年)。京都大学大学院思想文化学専攻宗教学専修博士課程を経て、2012年から2018年までドイツ留学(ボッフム、キール)。現在、京都大学非常勤講師。専門はヘーゲルとブルーメンベルクを中心とする西洋宗教哲学・文化哲学。
主な論文
「後期ヘーゲルの方法理念としての「追思惟」」(日本哲学会編『哲学』第63号、2012年)、「生きている哲学:ヤコービの「無知の学」と「信の実在論」が向かう先」(『nyx(ニュクス)』第2号、堀之内出版、2015年)、「宗教史の哲学——ベルリン期ヘーゲル宗教哲学におけるその展開と意義」(宗教哲学会編『宗教哲学研究』第34号、2017年)、「ドイツの文化哲学——カッシーラーからブルーメンベルクへ」(寄川条路編『ヘーゲルと現代思想』第2章、晃洋書房、2017年)など。
1981年静岡県生まれ。旧姓石川。文学博士(京都大学、2018年)。京都大学大学院思想文化学専攻宗教学専修博士課程を経て、2012年から2018年までドイツ留学(ボッフム、キール)。現在、京都大学非常勤講師。専門はヘーゲルとブルーメンベルクを中心とする西洋宗教哲学・文化哲学。
主な論文
「後期ヘーゲルの方法理念としての「追思惟」」(日本哲学会編『哲学』第63号、2012年)、「生きている哲学:ヤコービの「無知の学」と「信の実在論」が向かう先」(『nyx(ニュクス)』第2号、堀之内出版、2015年)、「宗教史の哲学——ベルリン期ヘーゲル宗教哲学におけるその展開と意義」(宗教哲学会編『宗教哲学研究』第34号、2017年)、「ドイツの文化哲学——カッシーラーからブルーメンベルクへ」(寄川条路編『ヘーゲルと現代思想』第2章、晃洋書房、2017年)など。
まえがき 「宗教史の哲学」という奇妙な冒険
凡例
序論 ヘーゲル「宗教史」はなぜ問われてこなかったのか
受容・研究の展開と現状
(1)ベルリン時代のヘーゲルと宗教史
(2)宗教史への無関心 ヘーゲル宗教哲学の受容史
(3)宗教史への関心と文化哲学の歴史
(4)文化哲学によるヘーゲル批判とその問題点
第一部 宗教
ベルリン期ヘーゲルの問題意識と哲学的宗教概念の文化論的転換
はじめに 宗教の歴史が哲学の問題になるのはいつか
第一章 「追考」の論理 自己化する知と体系化の根底
第一節 ベルリン期の書評活動における「追考」
第二節 「予備概念」における「追考」の理論展開
(1)予備概念二〇節—二三節の「追考」論
(2)「私」の刻印
(3)「追考」論はなぜ必要だったのか
第三節 哲学と経験科学 「追考」理論の応用
第四節 哲学的な意義を持つ実証学
第五節 哲学史的対決から、非哲学に対する自己弁明へ
第二章 「媒介された直接性」の問題とヤコービ批判
第一節 「追考」の論理構造としての「媒介された直接性」
第二節 ヤコービにおける直接性と媒介の概念
(1)信の存在論
(2)ヤコービ思想のアポリア 知はいかにして信へと立ち返ることができるのか
第三節 「直接知の立場」に対するヘーゲルの批判
第四節 経験科学と直接知 直接性と媒介の切り離し
第三章 ヘーゲル宗教哲学と「直接知」の問題
第一節 宗教哲学講義の課題と、それに関する資料的な問題
(1)宗教哲学講義の大枠
(2)宗教哲学講義序論の構成とその変遷
(3)一八二七年講義序論における「直接知」批判
第二節 神と宗教の概念をめぐる考察法の錯綜
(1)「宗教の概念」の体系 一八二一年講義第一部
(2)『精神の現象学』的考察法 一八二四年講義第一部
(3)汎神論批判と「精神としての神」 一八二七年講義第一部「A.神の概念」章
第三節 信仰の直接知と宗教の媒介 「B.神についての知」章
(1)宗教の契機として「直接知」を取り込む
(2)経験の次元における「媒介された直接性」
(3)私がベルリンにいる、ということ
第四節 文化的宗教哲学の成立
(1)宗教哲学の文化論的転回
(2)暗い知 象徴的図像と神話の次元
第五節 祭儀論の射程
(1)宗教哲学の結論としての祭儀論と哲学
(2)信仰の完成態としての祭儀 一八二四年の祭儀論
(3)無制限的信仰と制限的意志 一八二七年の祭儀論
(4)「直接知」批判としての祭儀論
(5)「絶えざる祭儀としての哲学」
第六節 「宗教史の哲学」への予備的結論
第二部 歴史
「媒介された直接性」理論の展開と「学への導入」構想
はじめに 『精神の現象学』への自己批判と宗教史
(1)『精神の現象学』「宗教」章における宗教史の記述
(2)『精神の現象学』の課題
(3)意識経験と諸事象の形態化 『エンチュクロペディー』第二五節注解に
おける、ヘーゲル自身による『精神の現象学』構想の再吟味
第一章 概念的発展と歴史的形態化
第一節 区別・自己止揚・自己確定 論理的なものの三つの側面
第二節 精神の発展と植物のメタファー
第三節 形態化の哲学 『法哲学』における発展と形態化
第四節 形態化と陶冶形成 歴史における形態化と学的叙述
第五節 歴史的形態化において意識される自由
第二章 精神の自己外化 『精神の現象学』最終の段落が語るもの
第一節 書き換えられた『精神の現象学』「序文」
第二節 「絶対知」章後半部の課題
第三節 感性的意識への自己外化 『精神の現象学』の自己確証
第四節 空間への自己外化としての自然
第五節 時間への自己外化としての歴史
第六節 「内化・想起」としての歴史
第七節 玉座メタファーと歴史の目標
第八節 意識の背後にあるものの歴史
第三章 『精神の現象学』以後の導入コンセプト
第一節 導入としての哲学史
第二節 演劇としての哲学史
第三節 歴史記述における党派性の問題
第四節 反駁の弁証法
第五節 哲学研究の導入にして終わりとしての哲学史記述
第四章 弱められた導入構想 「予備概念」後半の哲学史
第一節 「予備概念」における「三つの態度」の機能
第二節 精神の歴史的な高まりとしての「三つの態度」
第三節 「三つの態度」における過去と現在
第四節 覆いを剥ぎ取り、覆いで包みこむ 導入という作業について
第五節 二重の自己外化としての宗教の歴史
第三部 宗教の歴史
ベルリン期宗教哲学における「宗教史の哲学」の遂行
はじめに 宗教史の哲学に固有の問題とはなにか
(1)概念への逃避 宗教哲学講義における哲学への移行モチーフ
(2)哲学的宗教史の記述するもの 神の形態化と人間の形態化
第一章 人間の誕生と宗教史
第一節 宗教哲学講義第二部の変遷
(1)宗教史に対する見方の変化
(2)宗教史を媒介とする哲学的自己認識の可能性
第二節 自然宗教と人間の誕生
(1)「直接的宗教」論の変遷 その展開と消滅
(2)宗教の誕生と呪術における客体化
(3)埋葬の習慣と不死なる魂の表象 客体化と主体化の強度の尺度としての「自由」
第三節 呪術から宗教へ、あるいは実体から主体へ 東アジアの宗教に対する評価の変遷
(1)仏教と中国の結びつき
(2)実体的自我の宗教史的生成 一八二七年講義
(3)主体性の初発形態
第二章 「起源への思考」に対する批判と文化理解のカテゴリー
第一節 近代形而上学と起源への遡行
(1)近代自然宗教論批判
(2)楽園表象の分析
第二節 『バガヴァッド・ギーター』を読むヘーゲル
(1)インドの「発見」 十九世紀初頭ドイツのインド研究
(2)ヘーゲルと『ギーター』
(3)「フンボルト書評」における翻訳の論理
(4)ブラフマンの抽象性とインド的三位一体
(5)脱文脈化から再文脈化へ
第三節 結晶化する「象徴的動物」
(1)ゲレスとハイデルベルク・ロマン主義
(2)クロイツァーによる象徴の文献学
(3)「我々はようやく実体性から主体性への移行にいる」
一八二四年講義のエジプト宗教論1
(4)エジプトの神の死 一八二四年講義のエジプト宗教論2
(5)象徴と表象の国 一八二七年講義のエジプト宗教論
(6)凝集し結晶化する象徴の能力
(7)「直接知」的歴史探求としての「起源への思考」
第三章 証言しうる主体性の系譜学
第一節 自由な主体性の成立 「精神的宗教」論について
(1)「精神的宗教」論の変遷
(2)実体から主体へ、再び主体から実体へ
一八二四念講義における諸宗教の逆向きの対応関係
(3)諸宗教の形態化と諸規定の本質化
(4)一八二七年講義における主観的精神の諸契機の系列化
第二節 キリスト教への歴史的な準備 ユダヤ教とローマの宗教における世界の空洞化
(1)奇跡の可能性と自然の脱神格化
(2)原初的恐怖と宗教的恐怖の区別
(3)世界の内在的な意味の喪失
(4)「精神的宗教」における目的表象の生成と展開
(5)世界の苦痛と来たるべき時の準備
(6)個人の絶対化とその価値剥奪
第三節 一八二一年講義草稿における「完成した宗教」
(1)宗教哲学講義第三部の課題
(2)存在論的神証明との対応
(3)三位一体の神とキリストの生涯
(4)真理の証言としての信仰形態
(5)教団の生成と消滅
第四節 一八二四年講義の「完成した宗教」
(1)一八二四年の時代意識とキリスト教出現の歴史的準備
(2)キリスト教的諸表象のエレメント的区別
(3)「無限の苦痛、世界の苦悩」を証言する主体の誕生
(4)共同的主体性としての教団
(5)「哲学の教団」と『精神の現象学』的理念の変奏
(6)「我々」の系譜学とその問題点
第四章 一八二七年講義における証言概念の拡大と宗教史化する哲学
第一節 「精神の証言」の体系 一八二七年講義第三部導入部
(1)人倫の証言
(2)歴史の証言
(3)思考の証言
(4)哲学の証言
第二節 一八二〇年哲学史講義草稿における証言論
(1)精神の漠然たる織りこみ
(2)理解の条件としての証言的主体性と形而上学
(3)暗い承認 織りこまれる網としての宗教的形成
(4)宗教史を証言する主体
第三節 自己を形態化する神 一八二七年講義のエレメント論
(1)愛としての神とその発酵
(2)自己を歴史化する神と「直接知」
(3)歴史的思考の中心化
(4)すでに成就した和解への確信 教団的思考と歴史
(5)ヨーロッパ思想史の原理としてのキリスト教
第四節 哲学的自己認識の文化的再文脈化について
(1)ヘーゲル哲学とキリスト教
(2)宗教史化する自己
(3)宗教哲学的自己認識
(4)歴史的観念論の歴史的根拠
(5)文化へと送り返される歴史的自己認識
(6)起源の不在における哲学的自己認識と宗教史
結論 哲学のまわり道
(1)思考の再構築としての「宗教史の哲学」
(2)『精神の現象学』以後の思索
(3)キリスト教主義の徹底的な無効化
(4)文化哲学の歴史におけるヘーゲルの位置
あとがき
参考文献表
付 録 ベルリン期宗教哲学講義目次
英文要約
索引(人名・事項)
凡例
序論 ヘーゲル「宗教史」はなぜ問われてこなかったのか
受容・研究の展開と現状
(1)ベルリン時代のヘーゲルと宗教史
(2)宗教史への無関心 ヘーゲル宗教哲学の受容史
(3)宗教史への関心と文化哲学の歴史
(4)文化哲学によるヘーゲル批判とその問題点
第一部 宗教
ベルリン期ヘーゲルの問題意識と哲学的宗教概念の文化論的転換
はじめに 宗教の歴史が哲学の問題になるのはいつか
第一章 「追考」の論理 自己化する知と体系化の根底
第一節 ベルリン期の書評活動における「追考」
第二節 「予備概念」における「追考」の理論展開
(1)予備概念二〇節—二三節の「追考」論
(2)「私」の刻印
(3)「追考」論はなぜ必要だったのか
第三節 哲学と経験科学 「追考」理論の応用
第四節 哲学的な意義を持つ実証学
第五節 哲学史的対決から、非哲学に対する自己弁明へ
第二章 「媒介された直接性」の問題とヤコービ批判
第一節 「追考」の論理構造としての「媒介された直接性」
第二節 ヤコービにおける直接性と媒介の概念
(1)信の存在論
(2)ヤコービ思想のアポリア 知はいかにして信へと立ち返ることができるのか
第三節 「直接知の立場」に対するヘーゲルの批判
第四節 経験科学と直接知 直接性と媒介の切り離し
第三章 ヘーゲル宗教哲学と「直接知」の問題
第一節 宗教哲学講義の課題と、それに関する資料的な問題
(1)宗教哲学講義の大枠
(2)宗教哲学講義序論の構成とその変遷
(3)一八二七年講義序論における「直接知」批判
第二節 神と宗教の概念をめぐる考察法の錯綜
(1)「宗教の概念」の体系 一八二一年講義第一部
(2)『精神の現象学』的考察法 一八二四年講義第一部
(3)汎神論批判と「精神としての神」 一八二七年講義第一部「A.神の概念」章
第三節 信仰の直接知と宗教の媒介 「B.神についての知」章
(1)宗教の契機として「直接知」を取り込む
(2)経験の次元における「媒介された直接性」
(3)私がベルリンにいる、ということ
第四節 文化的宗教哲学の成立
(1)宗教哲学の文化論的転回
(2)暗い知 象徴的図像と神話の次元
第五節 祭儀論の射程
(1)宗教哲学の結論としての祭儀論と哲学
(2)信仰の完成態としての祭儀 一八二四年の祭儀論
(3)無制限的信仰と制限的意志 一八二七年の祭儀論
(4)「直接知」批判としての祭儀論
(5)「絶えざる祭儀としての哲学」
第六節 「宗教史の哲学」への予備的結論
第二部 歴史
「媒介された直接性」理論の展開と「学への導入」構想
はじめに 『精神の現象学』への自己批判と宗教史
(1)『精神の現象学』「宗教」章における宗教史の記述
(2)『精神の現象学』の課題
(3)意識経験と諸事象の形態化 『エンチュクロペディー』第二五節注解に
おける、ヘーゲル自身による『精神の現象学』構想の再吟味
第一章 概念的発展と歴史的形態化
第一節 区別・自己止揚・自己確定 論理的なものの三つの側面
第二節 精神の発展と植物のメタファー
第三節 形態化の哲学 『法哲学』における発展と形態化
第四節 形態化と陶冶形成 歴史における形態化と学的叙述
第五節 歴史的形態化において意識される自由
第二章 精神の自己外化 『精神の現象学』最終の段落が語るもの
第一節 書き換えられた『精神の現象学』「序文」
第二節 「絶対知」章後半部の課題
第三節 感性的意識への自己外化 『精神の現象学』の自己確証
第四節 空間への自己外化としての自然
第五節 時間への自己外化としての歴史
第六節 「内化・想起」としての歴史
第七節 玉座メタファーと歴史の目標
第八節 意識の背後にあるものの歴史
第三章 『精神の現象学』以後の導入コンセプト
第一節 導入としての哲学史
第二節 演劇としての哲学史
第三節 歴史記述における党派性の問題
第四節 反駁の弁証法
第五節 哲学研究の導入にして終わりとしての哲学史記述
第四章 弱められた導入構想 「予備概念」後半の哲学史
第一節 「予備概念」における「三つの態度」の機能
第二節 精神の歴史的な高まりとしての「三つの態度」
第三節 「三つの態度」における過去と現在
第四節 覆いを剥ぎ取り、覆いで包みこむ 導入という作業について
第五節 二重の自己外化としての宗教の歴史
第三部 宗教の歴史
ベルリン期宗教哲学における「宗教史の哲学」の遂行
はじめに 宗教史の哲学に固有の問題とはなにか
(1)概念への逃避 宗教哲学講義における哲学への移行モチーフ
(2)哲学的宗教史の記述するもの 神の形態化と人間の形態化
第一章 人間の誕生と宗教史
第一節 宗教哲学講義第二部の変遷
(1)宗教史に対する見方の変化
(2)宗教史を媒介とする哲学的自己認識の可能性
第二節 自然宗教と人間の誕生
(1)「直接的宗教」論の変遷 その展開と消滅
(2)宗教の誕生と呪術における客体化
(3)埋葬の習慣と不死なる魂の表象 客体化と主体化の強度の尺度としての「自由」
第三節 呪術から宗教へ、あるいは実体から主体へ 東アジアの宗教に対する評価の変遷
(1)仏教と中国の結びつき
(2)実体的自我の宗教史的生成 一八二七年講義
(3)主体性の初発形態
第二章 「起源への思考」に対する批判と文化理解のカテゴリー
第一節 近代形而上学と起源への遡行
(1)近代自然宗教論批判
(2)楽園表象の分析
第二節 『バガヴァッド・ギーター』を読むヘーゲル
(1)インドの「発見」 十九世紀初頭ドイツのインド研究
(2)ヘーゲルと『ギーター』
(3)「フンボルト書評」における翻訳の論理
(4)ブラフマンの抽象性とインド的三位一体
(5)脱文脈化から再文脈化へ
第三節 結晶化する「象徴的動物」
(1)ゲレスとハイデルベルク・ロマン主義
(2)クロイツァーによる象徴の文献学
(3)「我々はようやく実体性から主体性への移行にいる」
一八二四年講義のエジプト宗教論1
(4)エジプトの神の死 一八二四年講義のエジプト宗教論2
(5)象徴と表象の国 一八二七年講義のエジプト宗教論
(6)凝集し結晶化する象徴の能力
(7)「直接知」的歴史探求としての「起源への思考」
第三章 証言しうる主体性の系譜学
第一節 自由な主体性の成立 「精神的宗教」論について
(1)「精神的宗教」論の変遷
(2)実体から主体へ、再び主体から実体へ
一八二四念講義における諸宗教の逆向きの対応関係
(3)諸宗教の形態化と諸規定の本質化
(4)一八二七年講義における主観的精神の諸契機の系列化
第二節 キリスト教への歴史的な準備 ユダヤ教とローマの宗教における世界の空洞化
(1)奇跡の可能性と自然の脱神格化
(2)原初的恐怖と宗教的恐怖の区別
(3)世界の内在的な意味の喪失
(4)「精神的宗教」における目的表象の生成と展開
(5)世界の苦痛と来たるべき時の準備
(6)個人の絶対化とその価値剥奪
第三節 一八二一年講義草稿における「完成した宗教」
(1)宗教哲学講義第三部の課題
(2)存在論的神証明との対応
(3)三位一体の神とキリストの生涯
(4)真理の証言としての信仰形態
(5)教団の生成と消滅
第四節 一八二四年講義の「完成した宗教」
(1)一八二四年の時代意識とキリスト教出現の歴史的準備
(2)キリスト教的諸表象のエレメント的区別
(3)「無限の苦痛、世界の苦悩」を証言する主体の誕生
(4)共同的主体性としての教団
(5)「哲学の教団」と『精神の現象学』的理念の変奏
(6)「我々」の系譜学とその問題点
第四章 一八二七年講義における証言概念の拡大と宗教史化する哲学
第一節 「精神の証言」の体系 一八二七年講義第三部導入部
(1)人倫の証言
(2)歴史の証言
(3)思考の証言
(4)哲学の証言
第二節 一八二〇年哲学史講義草稿における証言論
(1)精神の漠然たる織りこみ
(2)理解の条件としての証言的主体性と形而上学
(3)暗い承認 織りこまれる網としての宗教的形成
(4)宗教史を証言する主体
第三節 自己を形態化する神 一八二七年講義のエレメント論
(1)愛としての神とその発酵
(2)自己を歴史化する神と「直接知」
(3)歴史的思考の中心化
(4)すでに成就した和解への確信 教団的思考と歴史
(5)ヨーロッパ思想史の原理としてのキリスト教
第四節 哲学的自己認識の文化的再文脈化について
(1)ヘーゲル哲学とキリスト教
(2)宗教史化する自己
(3)宗教哲学的自己認識
(4)歴史的観念論の歴史的根拠
(5)文化へと送り返される歴史的自己認識
(6)起源の不在における哲学的自己認識と宗教史
結論 哲学のまわり道
(1)思考の再構築としての「宗教史の哲学」
(2)『精神の現象学』以後の思索
(3)キリスト教主義の徹底的な無効化
(4)文化哲学の歴史におけるヘーゲルの位置
あとがき
参考文献表
付 録 ベルリン期宗教哲学講義目次
英文要約
索引(人名・事項)